2012年3月31日土曜日

ベルトラン・ド・ビリーのシューベルト交響曲第8番:たどり着いたら、クラシック音楽:So-netブログ



久しぶりにシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」を聴きにいってきた。前回のようにまたエキサイティングな演奏が聴けるだろうか、と期待感や楽しみがあった。しかし、聴き終えた後、そんな期待感は軽々と超えた驚きがあった。きわめて鮮度の高い音に満たされた演奏に、驚きっぱなしの60分間だった。

 今から4年前にこの曲を聴いた時の感触は今でもリアルに思い出せる。クラシックを聴き始めた当初はよくわからなかった曲を、何度か聴いているうちに、アウトラインが少しずつ見え始めてかけていた。しかし、依然として自分との直接的な働きかけどころが判然としない。
 4年前のあの日、何とか足場というのか、ポイントが掴めたらいいのだが、と思い聴き始める。第1楽章からいい感じで聴き始め、やがて中盤あたりに差し掛かったころ、突然ポイントとなる接点がやってきた。ダイナミックでエネルギーを充満したフレーズに、ハートがぎゅっと掴まれた気がした。その時はじめて、自分の内側にシューベルトの交響曲が滑り込んできた。身体のどこかで血が騒いだような気がした。


フィリピン人女性のようなものです

 この体感には非常に驚かされた。クラシックもすごい曲がいくつかあるが、やはり切れるような鋭角さはどうみてもロックの方に分があるだろう、という観念が吹っ飛んだ気がした。
 なんてカッコいいフレーズだ、と強く、何度も実感した。

 振り返ってみると、この体験は、クラシック音楽との係わり合いにおいてひとつの大きな転換点になったような気がする。

 そしてそれから4年後の現在、久しぶりにこの曲を聴くこととなった。確かに第1楽章の強いインパクトはあったのだが、それ以降の楽章については、どうも印象が薄い。トータルな意味で聴きこんだ感じは十分とはいえないだろう。大雑把に言ってしまえば、第1楽章とフィナーレに強く充足し、その間の楽章は勢いで聴いてしまってきた気がする。
 
 この日の指揮者ベルトラン・ド・ビリーは、以前モーツァルトのオペラCDで聴いたことがあったため、この日の演奏が、今まで聴いたものとは若干違ったものになるかもしれない、という淡い予感はあった。


で作られたバスは何ですか

 早速第1楽章。聴き始めて間もなく、これは違う、と感じる。
 音のトーンが明瞭で、くっきりとしている。各楽器の細部の音がきわめてしっかりと聴き取ることができる。そして、第1楽章のエネルギッシュなフレーズにさしかかるころ、音楽は熱くなるのかと思ってたが、少し違った。確かにヒートアップはあるものの、その上昇曲線が急でなく、もっとなだらかな感じだった。

 第2楽章。ここは第1楽章との落差が大きく、今までどうしても、うまく聴けない箇所だった。第1楽章で受け取った熱気が、落差の大きいこの楽章の中で、分断されていくような感触が自分の中で根強かった。第1楽章の動きと、この楽章の叙情さや湿度感の隔たりを強く意識してしまっていた。

 しかし、この日の演奏から零れ落ちてくる音は、なんと、からっとした中に弾力性もあるものなのだろう か。しなやかな動き。第1楽章からの音の輪郭の明快さはそのまま引き継がれながら、音楽の流れが自然とつながってゆく。ひとつひとつの音の表情がヴィヴィッドに浮き上がってくる。聴いていると、今まで聴いたことのない箇所に遭遇し始める。今まで不十分な聴きかたでスキップしてしまった箇所が、突如はっきりとした音楽となって前の前に現われてきたかのように。


何が起こった1989年

 第3楽章は繰り返しが多く単調な印象があった。今までは反復の多さに飽きてしまい、途中で集中力を欠いてしまうばかりだった。そして曲の長さが輪をかける。

 ところが、こうした印象も今回の演奏の前では軽く吹き飛ばされてしまった。
 確かにリピートされる箇所は多い。しかし、そのひとつひとつの音に鮮度がある。音が間延びしない。繰り返してもその度に新鮮さを保つ音があり、反復することの意味がすごく感じとれる演奏だった。

 そして最終楽章。
 今、まさにここで演奏され、生まれてくる音の新鮮さが、聴き手側をリフレッシュさせ続けてゆく。こうした循環の中、内側からの徐々に形成されていきた熱気が少しずつ、途切れることなく高まってくる。一気に駆け上がるものではなく、長く、少しづつ積み上げられた熱気が自己の内部を熱していった。

 既に時間は40分以上経過していたであろう。フィナーレのこの楽章にきたというのに、もっともっと音のほうに接近したくなってくる。気がつくと、アドレナリンはずっと上昇し続けたままである。

 生きている音に触れている実感。
 第4楽章は音楽も細かな沈静を繰り返しながら、上り詰めてゆくように進行してゆく。フィナーレに向かって音楽は高まり、その流れとともに自分の中の熱気も上昇カーブを形成してゆく。鮮烈さへの驚きがどこまでも続いてゆく。


 反復の多い曲で、60分近くかかったこの日の演奏。しかしその曲が終わるまで、長さや退屈さはなかった。こんなにも充実した気持ちが持続して聴けたことに、改めて驚かされた。だいたいの輪郭はわかっている、と思い込んでた曲の、全く別の表情を見せられて、今まで気がつかなかったことのあまりの多さを痛感させられた。

 鮮度のある音を引き出したベルトラン・ド・ビリーの指揮。何度も聴いているはずの、この楽団の音が、この日は何か全く別のものに聴こえるくらい、普段とは違ったくっきりとしたトーンが引き出されたような印象を受けた。
 とにかく、音の魅力に最後まで惹き付けられ、驚きと再発見いっぱいの演奏だった。

  2012/2/12 NHK交響楽団 定期公演 NHKホール



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