テロリズム - Wikipedia
テロリズム(英語: terrorism)とは、恐怖心を引き起こすことにより特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力の行使、およびそれを容認する主義のことである。テロリズムに則った行為・手段、およびそれらによって敵対者を威嚇することをテロル(ドイツ語: Terror)と呼ぶ。日本では一般にテロリズムとテロルの双方を指してテロと略す。またテロリズムを標榜しテロルを行う者をテロリストと呼ぶ。
テロリズムは暴力が関わる複雑な現象である。テロリズムの中核的な概念は「社会への何らかの訴えかけが意図された、物理的被害よりも心理的衝撃を重視する暴力行為」であると捉えることができる[1]。
古典的なテロリズムは古代から観察されているが、定義されたのはフランス革命において行われた9月虐殺がきっかけであった。9月虐殺事件では反革命派1万6千人を革命派により殺害する恐怖政治を行った[2]。現代のテロリズムの手法はより複雑化しており、従来の革命勢力だけではなく、全体主義の政府、分離主義の政治勢力などのあらゆる社会集団がテロ活動を行い得るようになっており、冷戦後には強制外交の手段としてテロリズムは確立されている[3]。
テロリズムはあくまで物理的な成果ではなく心理的な成果を求める。具体的な方法としては爆発物を用いた公共施設へのテロ攻撃が典型的である。また日本の地下鉄サリン事件のような化学兵器の使用、またアメリカ同時多発テロやロンドン同時多発テロ、モスクワ地下鉄爆破テロのような公共的な交通機関の転用などのような、社会への心理的効果が極めて大きい大規模テロが行われている。
2009年~2010年に起こった未遂を含む米国を標的にしたテロ事件は、当局が訴追した内の約4割が米国民だったことが明らかになっている。家庭の崩壊、貧困、差別など米社会で疎外感を覚えている若者らが、インターネットの交流サイトなどを通じて過激派思想に染りテロを起こす、ホームグロウン・テロが脅威となっている[4][5]。
テロリズムの定義に関しては、テロリズムの研究者の学術的な定義や各国政府の行政機関による定義付けをしているケースもあるが、その定義自体が政治的意味合いを含むため、様々な論争がある[6]。たとえばアメリカがときどき発表する「テロ組織」の指定要件の1つには「その組織の活動は、合衆国国民の安全あるいは合衆国の国家安全保障(国防、国際関係、経済的利害関係)を脅かすものでなければならない」という要件も入っている[7]。
日本の国内法においては「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、または社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為」(自衛隊法81条の2第1項)など複数の文言がある(基準策定の動き参照)。
定義が各国毎に異なるうえに、国家が引き起こした暴力行為はテロと呼ばれずに軍事作戦や諜報活動等の呼称で呼ばれるため基準の曖昧さが常に指摘されている。特に暗殺行為など、直接人命を奪う行為は国家や情報機関員が実行したことであっても単なるテロとの指摘が強いが、外交上の摩擦を避けるためにテロと指摘しない。
テロルの語源は、フランス大革命末期のジャコバン派による恐怖政治体制(フランス語: le régime de la Terreur 1793年6月–1794年7月)よりきている。権力者が対立する者を抹殺した場合もしくは、その影響(恐慌や追従)も含めてテロと呼ばれていた。
その後、その意味は、逆に反体制側の暴力的手段を指すように変化していった。これは権力側が武装抵抗をテロと呼んだためである。その後は、反体制派の共産主義者・政権掌握したばかりの共産主義者によるテロを赤色テロ、アナーキスト側によるテロを黒色テロ、権力側によるテロを白色テロと呼称して区別する人々もいた。
ロシア革命の際、レーニンは赤色テロと称して意図的にテロを煽動し、「当事者が何十年と忘れることのないほど」の残虐な処置をとるよう数多くの命令書を残した。一方トロツキーはテロリズムの本質は報復の連鎖であると批判し、大衆を動員した政治的行動(デモ、サボタージュ、ラッダイト等)に重点を置くべきとした。特にレーニン流の赤色テロは、ロシア革命後に発足したハンガリー・ソビエト共和国やバイエルン・レーテ共和国などの共産政権に受け継がれた。
不特定多数の個人間、あるいは社会に介在する「合意」に対して物理力やある種の表現をもって介入し、衝撃をあたえることで混乱や狼狽を誘い、結果として明示的なり暗示的なりに約束されてきた合意事項を破綻させることを目的とする。生命や財産の継続性は社会契約の前提であり、これを遮断することによって合意の継続を困難にする手法である。
関与しているステロイド論争テロの計画者はおおむね独自の主義・主張や世界観、宗教観をもとに物理的介入に及ぶ傾向にあるものの、その大半は未熟で一貫していない倫理観や思想的背景にもとづいていることが多く、対話の否定、相互理解の拒絶、純粋暴力(≒死・破壊)の肯定など非社会的な嗜好に由来するものである。またテロの計画者は、悲運な人生や肉親・家族に関して悲嘆や絶望している人につけ込むことでテロの実行犯を仕立て上げる。
また、個人で行う「個人的テロリズム」と、宗教や政治、国家による「集団的テロリズム」に分けることもある。宗教や政治的背景によるテロリズムはほとんどの場合小さな集団(セクト)が独自に思想的結晶をもって暴発するものであり、あたかも濃厚な指揮命令系統に統率されている外形を見せながら多くの場合互いに連携や共助関係はもたない。国家や一定の政治権力を持つ集団による統率された集団的テロリズムは恐怖政治につながる事もある。スターリン主義体制やナチズムにおける大量テロル(大粛清)が恐怖政治の例である。恐怖による民衆支配は伝統的な側面があり、古くはスパルタにおけるクリュプテイア(Krypteia)などに例が見られる。50年頃のユダヤではローマ帝国からの独立をめざす熱心党がテロ行為をおこなっ た。
[編集] 主な使用例
現代では行政組織・国家権力・社会・文明に対する過激派の暴力行為・冒険主義をさす事例が多く、最近ではその動機が多様化し、攻撃目標も要人から一般市民に変わってきている。歴史的には国家・行政組織側による暴力的抑圧(恐怖政治、粛清等)を含み、体制・反体制を問わず暴力と恐怖を活用することで大衆世論を支配する手段を意味した。
時代別における詳細はテロ事件の一覧を参照
[編集] テロの主体
「暴力的な非国家の行動者」も参照
―国家は国際テロの実行主体に入るのか、テロとは戦争なのか―
国家は国際テロの実行主体となり得るかという問題について様々な議論がある。歴史的に国家によるテロは弾圧や迫害・粛清など、権力装置を自国内で行使することが中心であり、また国際テロという暴力手段が注目された19世紀末のアナキスト達による一連のダイナマイトによる暴力行動[8]以降、テロの主体は国家権力に正面から対抗する手段を持たない政治勢力、思想集団、宗教勢力が奇襲的な殺戮行為を行うことにより、国際社会や外交関係といった利害を背景としてそれにつけこみ、目標国家に政治的打撃を与え、政治的主張を受け入れさせることが主流であったためである。
しかし国家が他国や他の文明を攻撃する手段としてテロの実行を命じ、あるいはテロを支援することがテロ国家あるいはテロ支援国家という概念を生み、テロ国家が引き起こす国際テロを国家テロと呼び習わす傾向が生まれ、国家がさまざまな国際テロの主体になり得るという認識が確認されつつある。
さらに、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件はテロの定義を揺るがす事件となった。この事件はイスラム原理主義組織「アルカーイダ」による犯行であったが、時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュはこの事件を「新しい戦争」と呼んだ(対テロ戦争)。
戦争とはいうまでもなく、国家が主体となるものであるが、非国家主体であるテロ組織の行為を指して「新しい戦争」と呼んだことで、テロという概念が戦争と合致するものであるのか波紋を呼んだ。
アメリカがテロを「新しい戦争」と呼んだ背景には、テロリストの国際法上の地位の問題がある。テロを新たな国際法上の戦争形態に加えないと「民間人を装う便衣兵による民間人を狙った戦闘スタイル」を容認することになる。テロを戦争と認定できればテロリストから交戦者資格(捕虜として軍事裁判を受ける権利を持つ)を剥奪できることになる[9]。
犯罪というにはテロの有する破壊力があまりに大きく、国家の存亡をも揺るがす安全保障上のテーマとしても認識されたからに他ならない。そして、テロには通常の犯罪と異なり、その動機がきわめて政治性、宗教性のあるものであるということも、通常の犯罪とは区別して考えられるところであり、単純に犯罪の一カテゴリーとしてとらえることは適切ではないということができる。このようにテロの概念規定を困難にさせているものは、テロという事象及びその特徴がきわめて複合性を有するものであるからに他ならない。政治的・宗教的目的の達成手段としてのテロ、犯罪としてのテロ、そして災害としてのテロ(テロ災害)というように、テロという概念は複数の要件が重複していることで成立しているのである。
[編集] 基準策定の動き
世界的にテロの頻発している現状の下、各国の政府においてテロ対策は重要な課題となっている。しかし、テロの定義を欠いたままでは、有効的なテロ対策を行うことができないため、国際法的にも各国の国内法的にも、まず「テロとは何か」という定義や基準を明確に規定することが不可欠となっているのである。
精子はどのように知ってどの方向に[編集] 日本での規定
日本政府は法令などでテロリズムに関連する認識や規定を表明しており、以下において紹介する。
[編集] 法令
- 公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律 第1条
この法律において「公衆等脅迫目的の犯罪行為」とは、公衆又は国若しくは地方公共団体若しくは外国政府等(外国の政府若しくは地方公共団体又は条約その他の国際約束により設立された国際機関をいう。)を脅迫する目的をもって行われる犯罪行為であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一 人を殺害し、若しくは凶器の使用その他人の身体に重大な危害を及ぼす方法によりその身体を傷害し、又は人を略取し、若しくは誘拐し、若しくは人質にする行為
二
- イ 航行中の航空機を墜落させ、転覆させ、若しくは覆没させ、又はその航行に危険を生じさせる行為
- ロ 航行中の船舶を沈没させ、若しくは転覆させ、又はその航行に危険を生じさせる行為
- ハ 暴行若しくは脅迫を用い、又はその他の方法により人を抵抗不能の状態に陥れて、航行中の航空機若しくは船舶を強取し、又はほしいままにその運航を支配する行為
- ニ 爆発物を爆発させ、放火し、又はその他の方法により、航空機若しくは船舶を破壊し、その他これに重大な損傷を与える行為
三 爆発物を爆発させ、放火し、又はその他次に掲げるものに重大な危害を及ぼす方法により、これを破壊し、その他これに重大な損傷を与える行為
- イ 電車、自動車その他の人若しくは物の運送に用いる車両であって、公用若しくは公衆の利用に供するもの又はその運行の用に供する施設
- ロ 道路、公園、駅その他の公衆の利用に供する施設
- ハ 電気若しくはガスを供給するための施設、水道施設若しくは下水道施設又は電気通信を行うための施設であって、公用又は公衆の利用に供するもの
- ニ 石油、可燃性天然ガス、石炭又は核燃料である物質若しくはその原料となる物質を生産し、精製その他の燃料とするための処理をし、輸送し、又は貯蔵するための施設
- ホ 建造物(イからニまでに該当するものを除く。)
- 警察庁組織令 第39条
国際テロリズム対策課においては、次の事務をつかさどる。
1 外国人又はその活動の本拠が外国に在る日本人によるテロリズム(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。) に関する警備情報の収集、整理その他これらの活動に関する警備情報に関すること。
- 自衛隊法 第81条の2第1項
内閣総理大臣は、本邦内にある次に掲げる施設又は施設及び区域において、政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為が行われるおそれがあり、かつ、その被害を防止するため特別の必要があると認める場合には、当該施設又は施設及び区域の警護のため部隊等の出動を命ずることができる。
一 自衛隊の施設
二 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第二条第一項の施設及び区域(同協定第二十五条の合同委員会において自衛隊の部隊等が警護を行うこととされたものに限る。)
「警護出動」も参照
[編集] 国会
- 北朝鮮による日本人拉致問題
- 2001年より北朝鮮による拉致被害者家族連絡会と北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会が「拉致はテロ」の表現を使用し[10][11]、2003年6月の衆議院本会議で小泉純一郎首相が「普通には、テロと言えると思います」と答弁した[12]。2007年12月には衆議院の拉致問題委員会で「拉致はテロであり、拉致被害者が抑留され続けている以上、テロは今も続いている」として、アメリカ合衆国政府による北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除に反対する決議案を、日本共産党を除く賛成多数で決議した[13]。しかし秘密裏に行われた拉致を政府は当初は「テロ」と呼んでおらず、この表現には議論も存在する[14][15][16]。
[編集] テロ解決のための方策
不特定多数の世論を人質としたテロ(無差別テロ)が有効に機能するためには3つの条件が必要である[17]。
どのカップ、ビス- 十分な破壊力を持つ武器が入手可能であること。
- 世論に働きかけるための十分なコミュニケーション手段が確保できること。
- 国家主体が世論(支持)の変化に敏感かつ脆弱であること。
テロとは、地位と力の両面で劣位な主体が優位な主体に要求を拒否され続けている場合の対抗の一つで、「人質」を交渉資源として交渉を進めようとする状況を示している。民主主義国家とテロリズムの対話はステイタスにおいて拒否されるが「人質」解放のためには不可欠であり矛盾している。そのため国家が積極的なテロ対策をとった場合にしばしば民主主義が制約を受ける[17]。
日本では警察当局により極左暴力集団及び右翼団体による「テロ、ゲリラ」事件の未然防圧と各種違法事案の取締りを推進している[18]。また財務省は国際テロ資金の凍結に関する国連安保理決議に基づき資産凍結措置を実施している[19]。
アメリカのテロへのアプローチは刑罰法のレトリックに接近している。対テロ戦争の目的はテロリストの組織網を途絶させ、裁判法廷へ犯罪人を連れ出すことである[20]。
全ての政府(政権、行政)が自国民・市民に対して必要最低限度の生活レベルを保証できれば、経済を背景としたテロは発生しづらい。しかし、アメリカ同時多発テロ首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンが中東有数の資産家であり、その実行者のほとんどが中産階級出身の比較的恵まれた階層であったことからも容易に理解できるように、いわゆる「貧困問題」とテロ問題の関連は実は大きくない。むしろ自らを犠牲にしても公憤を完結させるといった思想的背景(義憤・志願兵 (voluntary))や傾向、あるいはそれにつけこんだ狂信的思想の問題が重要である。
個人的な絶望や思索によって得られたある種の確信、領土や民族、宗教を背景としたテロは減らしにくい。各政府が、宗教や憲法に規定される信者や国民への義務を誠実に履行すればテロが発生しないとする意見も一部ある。ただし信仰や憲法の内容については各宗派や国によって大きな隔りがある。たとえば共通のコードとして国際人権規約などがこれに代わり得る可能性がある。
[編集] 国家の自己正当化としてのテロリズム対策
テロリズム対策の種類
- テロを犯罪行為として対処する場合[21]
- テロを戦争行為として対処する場合
多大な被害を出しうるテロリズムに対して、現在、世界はおおむね反対の論調を共有している。それゆえテロリズムの排除・撲滅はその実体はともかく主張としては反対されることが少なく、この主張を大義名分として行動する場合、他者(多くの場合他国政府)の介入を招きにくい。様々な国で自国内外のテロリストとの対決が見られる。
こうしたテロリズムとの対決は、アンチテロリズムやカウンターテロリズムの観点から批判を受けにくいが「テロリズム」の語が各国政府によって恣意的に運用され、反体制派の弾圧の理由としてテロリズム対策が用いられているという批判が起こることがある。反政府運動や分離独立運動などは暴力と結びつくことが少なくない。実力行使が伴わなくともテロリズム対策が示威行動として利用されることがある。
[編集] 公務執行型テロリズム
公務執行型テロリズムが過剰暴力や非合法活動の正当化に使われている(テロ撲滅のためには多少の付随的な犠牲が出るのはやむを得ないという主張)との批判もある。具体的には公務執行型テロリズムに伴う一般市民への誤射・誤爆などである。
またパレスチナ人のインティファーダ(対占領抵抗運動)へのイスラエル軍の攻撃、北部イラク・クルド人自治区のクルド人へのトルコの攻撃、バスク地方及びETAへのスペインの態度、チェチェン共和国独立派へのロシアの態度もカウンターテロリズムを用いた過剰暴力の正当化、もしくはカウンターテロリズムを大義名分にした体制側テロリズム・公務執行型テロリズムの例とされることがある[22]。
逆に、体制を攻撃するテロリスト側が、良心的・人道的な国際世論を利用し、自身の正当化を図るケースもある。「体制側の『テロリスト』というレッテル張りによって、我々は不当に弾圧されている。」という論理である。一般に複数の組織が政治的に敵対関係にある場合、自身の正当化や政治宣伝はどちらの側からもおこなわれる。
[編集] プロパガンダとしての「テロリズム」
一般的に、テロリズムは「非難される行為」と位置づけられる。また同時に、テロリズムは「周知されることで恐怖心を呼び起こすもの」である。この点において狭義の意味での暗殺とは異なる。直接の攻撃対象以外である大衆を操作・支配する目的で無差別に、あるいは象徴的な人物を攻撃する手段は、強い道徳的・倫理的非難の対象となる。
そのため、「テロリズム」という言葉の持つ、強い反道徳性・反倫理性を活用するかたちで、「自らとは異なる立場に立つ者のアピールや実力行使」に対して、「それはテロリズムである」というレッテル(ラベル)を貼るという方法で、非難を行うという方法論・戦術がある(プロパガンダ)。この非難の対象とされるものには、しばしば政治的アピールや非暴力直接行動などが含まれる。歴史的にも労働運動やマハトマ・ガンディーの非暴力不服従運動をイギリス政府はテロリズムと位置づけた。
しかしながら、ある行動が、利害が対立する者からの「テロリズム呼ばわり」に基づいてテロリズムになるわけではない。利害対立者の行動をテロリズム呼ばわりするというのは、単に言語上の修辞(レトリック)である可能性があり、その行動がテロリズムに分類されるべきものであるかどうかを決定するものではないということには注意する必要がある。しばしば「利害対立者からのテロリズム呼ばわり」は、テロリズム呼ばわりした者とテロリズム呼ばわりされた者との不仲の存在証明にすぎない。
[編集] サイバーテロリズム
近年におけるインターネット社会の発展と共に、情報化社会によって、特に製造・運輸・通信・金融のにおいて、社会の主要分野に於ける電子データ化が進んでいる。しかし、インターネット社会が発展するのと同時に増加しているのが、サイバーテロである。一度サイバーテロが発生した場合、直接的な人的被害は無いものの、電子データ化されたデータを盗用・破壊・改竄された場合、攻撃を受けた側の経済的な損失は計り知れない。特に私設取引システムなど他業種よりも電子化が進む金融業界関連に向けて攻撃がなされた場合、社会全体の混乱も懸念されている。
サイバーテロの項目に詳しいが、民族感情やテロ目的のものが多い。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- チャールズ・タウンゼンド著、宮坂直史訳『テロリズム』岩波書店、2003年
- ジャン・フランソワ・ゲイロー、デイヴィッド・セナ著、私市正年訳『テロリズム 歴史・類型・対策法』平河工業社、2008年
- テロ対策を考える会『[テロ対策]入門』亜紀書房、2006年
- 宮坂直史『国際テロリズム論』芦書房、2005年
- 東海大学平和戦略研究所編「テロリズム」(2001年)
- 「テロリズムの定義-国際犯罪化への試み」清水隆雄 国会図書館レファレンス2005.10[5]
- 「テロルの構造」布施哲(言語文化研究叢書2007)[6][7]
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