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197904-141
福祉活動の原則を適用する
大管長スペンサー・W・キンボール
地区と地域の評議会か設立された目的は,ステーキ部やワード部における教会の業を促進することであり,また特に家族を助けることである
愛する兄弟姉妹の皆さん,教会の総大会は人々の胸に何と大きな喜びを与えることだろう。今またこの会で皆さんと共にみたまの導きを感じ,また皆さんの熱意と力に触れ,皆さんがこれまで行なってこられた業と成果を伺い知ることができ,心から感謝している。
1970年代のこの10年間に,教会は著しい発展を遂げてきた。主はこの教会に祝福を与えて下さっており,この教会の発展は今後さらに加速されることだろう。今朝,数名の教会幹部の方々から説明があったように,神権評議会が地域や地区レベルにまで拡張されたのは,このような教会の発展に則応できるようにするためである。
主は啓示を下して,この変化と発展に対応できるように,教会の神権組織を備えて下さったのである。そのことについては,すでに十分に説明があったので,改めて詳しく述べる必要もないと思う。しかし,きょうの発表の先例となる出来事を教会歴史の中からひとつ引用して御紹介したい。
「きょうの午後,十二使徒会は評議会を開き,一同が告白する機会を設けた。……私たちの別れる時が近づいてきた。この次いつ会えるか,それは神のみが御存じである。そこで私たちは,私たちが予言者,聖見者として認めている人に尋ねた方がよいと感じた。そうすれば,彼は私たちのために神に尋ね,啓示を受けて下さるであろう。そして,(その啓示が変わらない限り)私たちは別れる時,その啓示に従えばよい。そうすれば,私たちの心は慰められるであろう。……まことに大いなる啓示を与えて下さるようにお願いした。啓示は,私たちの心を広げ,苦難の中で私たちを慰め,暗黒の力の真っただ中で希望の光を投げかけてくれるからである。」(History of the Church「教会歴史」2:209-10)
この要請に応えて,予言者ジョセフ・スミスは主に伺い,現在の教義と聖約第107章にある啓示を受けたのである。
「十二使徒会は,巡回管理高等評議員会にして,教会の大管長会の指揮下に於て,天の制に適うよう主の御名によりて職務を行う。すなわち,これらの者は教会を設立し,よろずの国民に於ける教会のあらゆる事務を整理し,まず異邦人より始めて次にユダヤ人に及ぼすべき者たちなり。
『七十人』は十二使徒会すなわち巡回高等評議員会の指揮の下に教会を設立し,またよろずの国民に於ける教会のあらゆる事務を整理するに主の御名によりて行い,まず異邦人より始めて次にユダヤ人に及ぼすべき者たちなり。」(教義と聖約107:33-34)
つまり,十二使徒会は,教会の大管長会の指示の下に主のみ名によって職務を行なう。そして,七十人は,十二使徒会の指示の下にその職務を果たすのである。またこの啓示には,主のみ業で必要とされる時に,地区代表やその他の人々が備えられることも述べられている。
「然るに十二使徒会にも『七十人』にも属せざる他の教会職員は,すべての国々を巡回する責任を有することなし。されど事情の許すかぎりは巡回すべきものなり。而して教会に於て重要にして責任ある地位を有することを得。」(教義と聖約107:98)
主は,神権による教会の管理を完全なものとするために,「監督職に就けるすべての事務を処理する」方法と,王国の実務を行なう方法を示して下さった。(教義と聖約82:12参照)再び,教義と聖約第107章を読んでみよう。
「そは監督の職は,すべてこの世に属することを執り行えばなり。……
さりながら,メルケゼデクの神権の大祭司は,真理の『みたま』によりてこの世に属け
る知識を有つ故に,この世に属けることの奉仕をなすために特に任命せられ得べし。
いつ、どこでアイザック·ニュートンが生まれた
またこの大祭司は,イスラエル人の中の判士となり,教会の事務を執り……」(教義と聖約107:68,71-72)
ここ数年の間に,この啓示された方法はますますよく応用されるようになってきた。そして今日私たちは,全世界の国々に教会を打ち建てるためにこの啓示をどのように適用するか,その方法をさらにはっきりと理解しなければならない。世界の動きを見てみると,王国の諸事を処理するこの方法は現実に則しているだけでなく,数年後には必ず必要とされるものである。
このように王国が組織されると,十二使徒定員会の兄弟たちは教会を巡回し,必要な秩序を打ち建てることができる。しかし,従来行なっていたようにプログラムや各部門の管理の責任は負わないのである。各部門やプログラムの指導と管理は,今後,七十人第一定員会の教会幹部の仕事になるからである。また,七十人第一定員会の兄弟たちは,管理監督会および教会の実務部門から積極的かつ有能な支援を得ることができる。これらはすべて,私たちが一致協力してさらに前進し,かつてなかったほどの速度で歩みを速めてゆくためである。
地区と地域に神権評議会を設立した目的は,ステーキ部やワード部における教会の業を促進することであり,また特に家族を助けることである。兄弟姉妹の皆さん,このことを御理解いただきたい。
ステーキ部長の皆さんには,今回の発表が皆さんの肩の重荷を幾らかでも軽くするものであることを理解して下さるように願っている。これらの責任の大部分は今後,地区代表に移行され,皆さんは自分のステーキ部の諸事に全力を傾注できることになった。そこでこのことを踏まえた上で,福祉活動を含む教会の諸活動を管理,指導するステーキ部長の義務と特権について少し述べておきたい。
ステーキ部長の仕事を印象深く感じた最初の模範は,私の父,アンドルー・キンボールである。父は1898年から1924年まで,実に26年半もの間,シオンのセントジョセフ・ステーキ部の部長を務めた。このステーキの名前は,殉教した予言者の栄誉をたたえて付けられたものである。家族はつましい生活をしていたが,父は,どのように貧しい人々の世話をすればよいかを監督に教えただけでなく,しばしば苦難にあえぐ人々を自ら助けていた。そのような人々に対する父の献身は,かつてジョセフ・F・スミス大管長が授けて下さった祝福の成就だと私は思う。父はジョセフ・F・スミス大管長から,ヒーラ盆地の人々がやがて父を,「親を慕う子供」のように慕ってくるであろうとの約束を受けていた。もちろん,当時の私には,父の行なっていることがすべて理解できたわけではない。けれども,父が示してくれた模範は,どのステーキ部長にも必要なことだと思った。
父は自分が説くことを自ら実践した。ただ人々に,自給自足をするようにと説くだけではなかった。私たちはいつも家族として模範を示すように教えられた。私たちは自分たちの食糧のほとんどすべてを自分たちの手でまかなった。父はいつも菜園の手入れをしていた。食物を得,素晴らしい香りを与えてくれる菜園の手入れをした。私はよく水をくみ,菜園に水をやった。そのほか,牛の乳しぼりをしたり,果樹園の木を刈り込んだり,囲いの修理を手伝ったりした。私には兄がふたりいたが,彼らはいつも簡単な仕事をして,いつも大変な仕事を私に回した。しかし,私は不平を言わなかった。その結果,私は体が強くなった。
私もまた,ステーキ部長として奉仕する特権に浴した。1938年にセントジョセフ・ステーキ部から分かれてできた,マウントグラハム・ステーキ部の最初のステーキ部長に召されたのである。ステーキ部長の皆さんが経験しておられるように,私もまた,苦難を負っている人々と悲しみや喜びを共にしてきた。
なぜクリスマスのトナカイ
1941年9月の洪水のことを,私は今でもよく覚えている。ステーキ部大会の開かれる週末に雨が降り続いた。そして,ステーキ部大会の翌日,ついにヒーラ川は氾濫し,アリゾナ州のダンカンとその一帯に洪水が起こった。私は,聖徒たちが早急に必要なものについて,第一副ステーキ部長のバーノン・マクグラス兄弟と話し合い,直ちにサフォードにあるステーキ部合同の福祉倉庫から物資を車に積んで,60キロほど離れたダンカンに向かった。私たちはその地に到着すると,必要な手配を整えた後,車では橋が危ないということで,バーデンまで13キロの道のりを歩いて行った。私は,洪水で破壊した家や農地の荒れた様を見た時,まったく悲しくなってしまった。しかし,それからの数週間,私はステーキ部長の在任中で最も充実した経験をすることができた。私たちは高等評議員会とワード部監督会の力を得て,再建に乗り出した。福祉倉庫からの支給品と地元の人々の労働によって,再建工事を開始した。地域の聖徒たちは素晴らしい献身振りで,私たちは結局,中央福祉委員会に援助を要請しなかった。地元の力だけで処理したのである。
これとほぼ時を同じくして,教会員に,経済的な自立を図り,負債を避けるようにと切に助言したことを覚えている。私が召された時は,まだ大恐慌の余韻が残っていた。当時はまだ個人と家族の備えという呼び方はしていなかったが,私たちはステーキ部内の聖徒たちに,自分の必要は自分で満たすようにと教えた。多少言葉の違いはあったが,私たちはすでに労働,自立,愛,奉仕,奉献,管理の基本原則を説いていた。
私は自らこのような体験をしたこともあって,1936年に福祉活動が再び強調されるようになって以来,教会がこのように大きな発展を遂げてきたことを思うと感慨無量である。
自分の過去の経験と,現在聖徒たちが必要としている事柄を考慮した上で,もしも私が今ステーキ部長の職にあるとしたら,福祉活動の中でこうするであろうと思うことを述べてみたいと思う。
まず第1に,私はプログラムを研究する。聖典や手引き,それに福祉活動に関する資料を研究する。そして,福祉活動こそ「福音の実践」であることを理解するであろう。
福祉活動は次の3つの部分から成っていると思う。第1に,将来を見越した生活をすることによって問題が起こるのを予防する。第2に,緊急の助けを必要としている人々に一時的な援助を与える。第3に,根の深い,あるいは長期的な問題を抱えている人々を社会復帰をさせる。
私は40歳代の初めに,ステーキ部長として教会の総大会に出席し,クラーク副管長がこれらのことについて話されるのを聴いたことを今でも覚えている。これらのことは当時と同様,今日でも言えることである。
ステーキ部長である私が行なわなければならない重要なことは,ステーキ部福祉活動委員会の委員長としての義務を学び,また地区福祉活動評議会に活発に参加することである。兄弟の皆さん,ある種の福祉活動は地区または複合地区レベルで行なわなければならないということをよく認識していただきたい。たとえ,すべての設備を自分のステーキ部に設置する方が便利だとしても,地区評議会で他のステーキ部に設置することが決定されたら私はそれを支持するであろう。
物事は,自分の生活に応用してみて初めてよくわかるものである。私は福音の基本原則が自分の生活に,また家庭に欠けている状態を目にしたくない。私は個人と家族の備えの教えに従いたいと願っている。すなわち,菜園を造り,家族の資源を上手に管理し,教育の視野を広げたい。また,健康を保ち,家庭貯蔵を増やし,家屋や敷地の手入れをしたい。そのほか主から命じられたすべてのことを行ないたい。
ステーキ部長として,父が地域社会に示したもうひとつの模範がある。父はいつも努めて家の中や庭をきれいに整えていた。ごく当たり前のことのように父はそれを行なっていた。サフォードに年老いたひとりのカウボーイが住んでいた。ちょうどそれは,私が使徒に召された頃のことだった。そのカウボーイは私の家に来ると,こう言った。「スペンサー。わしは昔,集会に行く時,いつもあなたの家のそばを通ったもんだ。それで気がついたんだが,大会のある時は,いつも家の周りがきれいに掃除されていた。だが,そうでない時は,あまりきれいになっていなかったね。」
さらに私は,福祉活動のために自分の持ち物を捧げるようにしたい。私は,断食献金を惜しみなく納め,定員会会員として福祉活動の割り当てに喜んで応じたいと思う。
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第2に,自分でできるだけ学んだ後,その福祉活動の原則と実施方法をワード部やステーキ部の役員に教える。同時に,福音の原則と義務,それに具体的な割り当ても教える。副ステーキ部長と共に,聖典に記されているように,監督に「貧しき者を探ねて富める者おごれるものの謙りによってその乏しきを賑わしめ」(教義と聖約84:112)ることの大切さを教えよう。
聖句を引用してその理由を述べ,また断食の律法と倉庫の利用法,個人の必要の判定基準,被援助者に与える仕事の種類,個人的な問題を抱えている人々への助言の仕方などについて教える。しかし,私たちが決して忘れてならないことは,このような困っている人々に実際に援助の手を差し伸べるのは,監督のみに委任された責任であるということである。
また,私たちは,ステーキ部扶助協会の姉妹たちに,家庭訪問によって監督を助けるにはどうすればよいかなどという事柄について,ワード部の姉妹たちを訓練するように教える。さらに,定員会指導者には,有意義なホームティーチングを行なうこと,個人と家族の備えを促すこと,重大な問題を持つ兄弟を助けることなどについて指導する。
第3に,ステーキ部でできる範囲で福祉活動を実施する。本当の祝福は実行することによって得られるからである。「実行!」これが私たちのモットーである。しかし,今朝の話を伺っていると,こう書き加えた方がよいかもしれない。「計画をして実行する!」と。とにかく,全体の一部であるかもしれないが,私たちは計画した後に,それを実行し,仕事を成し遂げるようにすることが必要である。
奉仕の機会はたくさんあり,満たすべき必要は数々ある。デゼレト産業の資材集めから,生産の増加,さらに定員会を通じて行なう就職のあっせんまで,実行しなければならないことはいろいろある。また,断食献金を集め,レーマン人の兄弟姉妹のために里親を見つけることもそうである。自己を犠牲にすること,互いに助け合うことも福祉活動の実践である。
結局,この偉大な計画は,与える者と受ける者の双方に祝福をもたらすものである。与える者は,「彼らのいと小さき者に捧ぐるとも皆われに捧ぐればなり」(教義と聖約42:38)という聖句,また受ける者は,「あらゆるものはわがものなれば,わが聖徒らを扶養するはわが目的なり」(教義と聖約104:15)という主の約束を忘れないようにすることである。
教会はいつもすべての主の子供たちに関心を払ってきた。私は,1907年の中国の大飢饉のことを思い出す。当時の大管長会のジョン・R・ワインダー副管長は,苦難にあえぐ民に20トンの小麦粉を送ることを総大会で発表した。その時,B・H・ロバーツ長老がこの決定を支持してこう述べた。
「いかなる災難も,私たちの慈愛の心が及ぶ限り,決して天父の子供たちの上に降りかかることはない。この計画は,本大会で全会一致の支持が得られるものと私は信じている。この計画は,愛と宗教的な目的のために物資を集めるという私たちの方法が賢明なものであることを証している。この地上に,絶えず愛の集積されている組織があることを,神に感謝したい。必要な時に,人の子らに恵みを施す手段があることを感謝したい。また,キリストの教会の中にこのような蓄えをするよう教えて下さった神の知恵に感謝したい。私は心から,ワインダー副管長の発表された決議を支持するものである。」(Conference Report「大会報告」1907年4月,p.59)
決議案は全会一致で採択された。
先日,合衆国とカナダ地域,さらに多くの穀物貯蔵庫を建設する認可を出した時,私はこの話を思い出した。そして,きょうも,指導者の方々に福祉プログラムを実施する義務のあることをお話しながら,この話を思い出した。
先程も申し上げたように,行なうことによって,実行することによって初めて,本当の祝福は来るのである。私は,現在の教会の発展を非常に喜んでいる。私たちは皆さんに大きな期待を寄せている。また,今後も引き続き皆さんの管理の職の範囲内で築き,改善し,働き,歩みを速めるようにお願いしたい。と同時に,皆さんが立派に働いておられることを知り,この公の場を借りて感謝の言葉を述べたい。
次に,インディアン学生里親プログラムのために奉仕し,犠牲を払って下さっている方方に愛と感謝の気持ちをお伝えしたい。素晴らしいインディアンの両親の皆さんに,私たちの愛をお伝えしたいと思う。皆さんが子供たちを手放して教会の完全なプログラムに託し,立派な教育を受けさせようと多くの犠牲を払っていることを,私たちはよく知っている。このような皆さんの愛は,子供たちの生活に祝福をもたらすと同時に,彼らの家族をも強めることになる。また自分の生活と時間,さらに財産をも差し出して協力して下さっている里親の皆さんにも,心から感謝を申し上げたい。このようにレーマン人の青少年を受け入れるには,愛と2里行く精神が必要である。人々に愛を示し,無私の奉仕をして下さっている皆さんと皆さんの家族には,多くの祝福が与えられることだろう。このプログラムから,里親の家族も,インディアンの家族も祝福を受けることができるのである。この里親制度は主から霊感されたプログラムである。すでにレーマン人の青少年の多くが教会の力強い指導者となっている。また,地域社会,ひいては世界の指導者として活躍している人も多い。
監督の皆さんには,教会公認のこの大切なプログラムを今後も継続してゆくようにお勧めしたい。このプログラムによって恵みを受けることのできるレーマン人の青少年を捜し,彼らがバラのような花を咲かせることができるよう導いていただきたい。ステーキ部長の皆さんは,このことを監督に指導するようにしていただきたい。
次に,福祉農場を効率よく,経済的に,しかも安全に経営し,その農地をきれいによく整えていると自信を持って言える方々にも感謝したい。福祉農場は,ステーキ部長が管理の原則について教える絶好の場である。この発展を阻止する要因があるとすれば,それは指導者の問題であろう。この福祉農場のために委員会を組織し,効果的に委任をし,そして報告を受ける面接を定期的に行なっているステーキ部長の皆さんに心から感謝している。
また,質の向上を計るこ,との大切さを理解しておられる方々にも感謝申し上げたい。主にとっては,質の限界というのはない。自分たちの福祉農場で生産する物を主のみ業のために使えるということは何と素晴らしいことではないだろうか。
私たちはまた,新しい倉庫,かん詰め工場,デゼレト産業ビルの建設の報告を受け,非常に喜んでいる。これは大きな犠牲によってできたものである。十分な力が備われば,この業務を担当する人々から認可が得られるであろう。私たちがこのような倉庫を持つことは主の願いである。これらの倉庫を通して,私たちは貧しい人や困っている人を助けることができるのである。
主は,教会の最初の管理監督に次のような勧告を与えられた。
「また監督たる者はこの教会に一つの倉庫を指定し,この民の必要以上に余れる金銭糧食は両つながらすべて此所に保存し,監督の手に於てこれを管理すべし。……
かくの如く,われこの民にわが律法に従いて組織する特権を許す。……
見よ,これはエドワード・パートリッヂに示されたる一つの範例にして,こは他の土地にてもすべての支部教会にても以て範例となすべきことなり。」(教義と聖約51:13,15,18)
主は今日でも,主が示された範例に従うことを望んでおられる。現在のブラウン管理監督は,事情の許す限り,すべての支部教会がこの範例に従うよう導く責任がある。そのために努力を払っておられる方々にも,私たちの愛と感謝をお伝えしたいと思う。
ここで今一度,私たちが今行なっている業は,単に私たちの業ではなく,主のみ業であることを申し述べておきたいと思う。私たちは主の王国を建設している。そして,その王国の一員としての特権を受けている。そのような重大な責任を持つ私たちは,主が教義と聖約第105章の中で述べられておられる勧告をそのまま実行する義務があるのである。
「およそ日の栄の王国の律法の諸原則によらずんば,シオンを建つること能わず。これによりて建てずば,シオンをわれに受け入るることかなわざるなり。
されば,わが民の律法に従順なることを覚るまでは必ずこれを懲しむるを要す。もし必ず要すれば,彼らの受くることによりて打ち懲しめらるるなり。……
シオンの王国は誠にわれらの神とそのキリストの王国なれば,いざわれらその律法に従うべし……」(教義と聖約105:5-6,32)
最後にもう一度,これまで皆さんが行なって下さったすべての事柄に心から感謝を申し上げたい。
神が生きておられ,これが神のみ業であることを私は知っている。私は,これからも絶えず神の霊感があって,私たちが正しい判断ができるように主に祈っている。これらをイエス・キリストのみ名により申し上げる。アーメン。
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