軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ) - WW2全般
第2次世界大戦で既に(劣化)ウランが弾芯に利用されていた、ということでしょうか?
確か弾芯にウランを使用していたはずです。実戦に使用したかは分かりませんけど。
この頃になるとドイツでは原爆開発の目処が当面は立たないと判明したため、
原爆開発のために備蓄していたウランを他の用途に転用したと聞いたことがあります。
その一つに弾芯の素材としてウランを転用したことがあると聞きました。
第2次世界大戦時の各国の国力を知りたいのですが?
WW2の直接原因は?
戦争が始まった直接の原因は,ドイツがポーランドに,ダンツィヒ割譲とその周辺のポーランド回廊に交通網の施設と使用を要求して拒否されたんで,攻め込んだことかね.
中止しないと戦争するぞと英仏が警告したが,ドイツは何とかなると思って警告を無視した.
WW2の開始は,中止の期限が切れた瞬間とみなされる.
(世界史板)
ドイツはロカルノ条約を破ってラインラントへ兵を進めたり等,条約を破りまくりなんですが,それらについて,当時の国際機関であった国際連盟は具体的なことは出来なかった,ととらえてよいのでしょうか?
何もできませんでした.
まあ,ラインラントはドイツの領土――ロカルノ条約により,非武装地帯にされていただけ――ですし,国民は進駐を熱狂的に支持しましたから….
ラインラント住民にとっても,いつフランスやイギリスから占領されるか分かりませんでしたからね.
加えて言うなら,英国の世論は概してドイツに同情的でしたし,フランスは政情不安でとても出兵できる状態でなかったということを考えれば,じゃあどこの国が制裁するのよ?ということになりますわね.
それを見越してヒトラーも進駐に踏み切ったんですが.
ただ,いざ実行するに際しては,ドイツ側もおっかなびっくりだったようで,(
ロカルノ条約では違反時に武力制裁が認められていましたから)英仏軍が攻撃してきた場合には,すぐに撤退できるよう準備をしていたそうです.
当時の独軍には実戦を耐え得るだけの実力はありませんでしたので.
(世界史板)
管制塔---塔の上に管制官の詰め所を備えた構造物---は戦後に生まれたものであって、大戦中には存在しなかったのでしょうか。
airfield control towerで検索してみれ。けっこう引っかかるよ。
トルコ共和国3軍の基本ドクトリンとは、親独反ソ、ただし中立堅持だったと、単純に理解していいのでしょうか?
45年2月に対ドイツ参戦してますから中立堅持とは言いがたいと思います
洞ヶ峠といったところではないでしょうか
第2次世界大戦のとき、アラブ諸国は何をしていたのでしょうか?
中東はイギリス領でしたから、イギリス軍として参加していました。
ロンメルの北アフリカ戦線について調べてみると、よく分かると思いますよ。
それと、イギリスの二枚舌外交と、無責任さにも・・・
1940年頃の中東は…。
英国の影響下にあったものが、独立国(或いは保護国)ではイラク、エジプト、
トランスヨルダン(今のヨルダン)、パレスチナ(今のイスラエル)、湾岸諸国、イェメン、オマンです。
このうち、イラクは1941年にガイラニ首相が枢軸寄りの外交政策を採ろうとして、軍部が王室打倒クーデターを起こし、
ドイツがそれを支援しましたが、失敗して英国の影響下に置かれました。
エジプトでもナセルやサダトが率いる若手将校団がクーデターを計画しましたが、発覚して、彼等の身柄は拘束されました。
イランは1942/1/29にソ連が北半分を、英国が南半分を占領し保護下に置き、
サウジアラビアは自立してましたが、いずれも1943年に米国と協定を結んで
両軍は一部が撤退して米軍を駐留させました。
イェメンはアラブ陣営唯一の中立国でしたが、これも1943年に連合国に参加しています。
シリアとレバノンは「サイクス・ピコ協定」によってフランスの保護下に置かれ
ていましたが、1940年のフランス崩壊でヴィシー政権に属し、1943年に自由
フランスの影響下に置かれた後、相次いで独立しました。
アフリカは独立国がほとんど無く、前述のエジプトを除けば、リベリア、南アフリカ、
モロッコ、エチオピアのみが独立しています。
このうち、モロッコはフランスの保護国、エチオピアはイタリアの占領下にありました。
このほかの地域は、南アフリカ、ボツワナ、ジンバブエ、ナミビア、ケニア、マラウィ、
スーダン、エジプトを結ぶ線とガーナ、ナイジェリア、ニジェールの一部などが英国の植民地でした。
南アフリカはアフリカ、イタリア戦線の主力として活躍し、ジンバブエも兵士の供給源になっていました。
また、ケニアはエチオピア奪還の根拠地となりました。
フランスがモロッコ、アルジェリア、チュニジア、マリ、中央アフリカ、ギニア、セネガル
マダガスカルなどを植民地にしており、カサブランカ、ダカールでは連合国とヴィシー政府軍との戦闘が行われています。
なお、英国占領後のマダガスカルでは、日本の特殊潜航艇が英戦艦「ラミリーズ」を大破させました。
イタリアの植民地はエリトリア、リビア、ソマリアの他、大戦前に占領したエチオピア
がありましたが、1941年から43年に掛けて連合国に占領されました。
このほかはコンゴ、ルワンダ、ブルンジがベルギーの、セウタ、赤道ギニアがスペインの、
モザンビーク、アンゴラなどがポルトガルの植民地でした。
(14:眠い人 ◆ikaJHtf2)
枢軸(AXIS)という言葉が日独伊にどうして使われたのか教えて下さい。
ベルリン・ローマ枢軸関係成立の際に
ムッソリーニが「枢軸演説」をしたと。
それで「枢軸」が一般的に使われるようになったようです
日系米人の強制収容などに代表される、第二次世界大戦の人種間戦争的な側面について、現在ではどのような評価が一般的なのでしょうか。
パパ・ブッシュのときに正式に謝罪して、強制収容の経験者で存命中の方は一人
当たり当時の日本円で200万円ほどの補償金を受けていたと思います。
公式には解決済みなのではないでしょうか。
日独伊三国同盟は、イタリアではドイツとイタリアどちらの方が最初に来るのでしょうか?
自分の国を頭に持ってこない国は通常ないかと
ですからイタリアでは伊独日ないし伊日独三国同盟のようです。
世界史的には独が先頭で伊日の順はまちまちのようです。
第2次世界大戦で連合軍側の兵士が戦争犯罪人として裁かれた例はありますか?
それってただの軍法会議になるのでは…。
まあ、なにをもって戦争犯罪とみなすかですがね。
第2次世界大戦中に他国で日本のような学徒出陣はあったのですか?
ドイツやソ連は、13歳くらいまで戦場に送っています。
WW2のとき独立国家はいくつあったのか?
1944年の時点で世界の独立国は78カ国です。
日本帝國、満州帝國、中華民国(蒋介石、汪精衛の二つ)、中華ソヴェト(毛沢東)、タイ王国、ビルマ、フィリピン共和国、
ソヴィエト連邦、トルコ共和国、イラン王国、アフガニスタン王国、サウジ・アラビア王国、イラク王国、イェメン王国、
クウェート王国、オーマン王国、ブータン、シリア共和国、レバノン共和国、ポーランド共和国、エストニア共和国、
ラトビア共和国、リトアニア共和国、ドイツ共和国、ダンツィッヒ自由市、英国、アイルランド自由国、フランス共和国、
イタリア王国、アルバニア王国、スペイン共和国、ルーマニア王国、ユーゴスラヴィア王国、ハンガリー王国、ベルギー王国、
オランダ王国、ポルトガル共和国、ギリシャ王国、スウェーデン王国、ブルガリア王国、スイス連邦、デンマーク王国、
アイスランド共和国、クロアチア共和国、フィンランド共和国、ノルウェー王国、スロヴァキア、ルクセンブルク王国、
モナコ王国、サンマリノ共和国、リヒテンシュタイン公国、アンドラ公国、ヴァチカン市国、セルボガ公国、米国、
メキシコ共和国、キューバ共和国、ハイチ共和国、グアテマラ共和国、サルヴァドル共和国、ドミニカ共和国、
ホンジュラス共和国、モンテネグロ王国、ニカラグア共和国、コスタリカ共和国、パナマ共和国、ブラジル連邦共和国、
アルゼンチン共和国、コロンビア共和国、ペルー共和国、チリ共和国、ヴェネズエラ共和国、ボリヴィア共和国、
エクアドル共和国、ウルグアイ共和国、パラグアイ共和国、エジプト王国、リベリア共和国、エチオピア帝国、
モロッコ王国、サロ社会主義共和国、タンヌ・トゥーバ共和国、チベット、東トルキスタン共和国、
イランの北西部にもソ連の傀儡国家があったっけ。
(WWIIのマイナーな軍について語るスレ:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
第2次世界大戦当時の参加国の一覧ありますか?
によれば,第二次世界大戦で参加した,もしくは大きな影響を受けた国は61カ国です.
国の数自体は61より多いですよ.リンク先の国の数を見てみると(番号が振ってあるので数える手間はありません)すぐ分かります.
たとえばこの一覧表ではタイはありませんし.タイは植民地になったことがありませんしね.
61ヶ国の内,枢軸国は,日本,ドイツ,イタリア,アルバニア,タイ,ハンガリー,フィンランド,ブルガリア,リトアニア,ルーマニアの11ヶ国.
それ以外が連合国側です.
(「はてな」)
第2次世界大戦で一番死者が多かった国は?
たしか,ソ連は民間人込みで1千万人以上やられてます.
数年前に出てた,ダニガンのWW2の余話集(文庫本で翻訳にけっこう誤りのあったやつ)に,各国の人的被害について軍人・民間人別でまとめられています.
うろ覚えだけど被害の多かったのは中国,ソ連,ポーランドあたりだった覚えがあります.
1913年(この数字信頼性ゼロや)生まれのソ連人全男性の80%以上が戦死したとか.
死傷者数を見るよりも,恐ろしさを実感した覚えがある.
その前後の世代も似たような戦死率で,50年代になって,未亡人や結婚適齢期を逃した女性の為の政策に政府が悩んだと覚えてます.
あと,ポーランド人300万人も絶滅収容所で死んでますね.
まさに,「世界は地獄を見た」ですな.
第2次世界大戦中の北アフリカ以外のアフリカはどうなっていたのですか?
フランス領やベルギー領などあったと思いますが.
- 南アフリカ連邦(含.ナミビア)
第二次大戦参戦に当たっては、ボーア人との確執が有るも、結局対独宣戦を行う。
空軍は、第二次大戦参戦後は、英国空軍に協力し、東アフリカ戦線、北アフリカ、中東、地中海、バルカン半島の各戦線で主に戦闘を行う。
また、空軍要員の育成の拠点となり、1944年2月までに操縦士5,000名、観測員5,000名、航法士2,000名、爆撃手2,000名、機銃手2,000名を養成。
海軍は、南大西洋地区、インド洋地区の対潜警備を実施。
陸軍も、空軍と同様に東アフリカ、北アフリカ、イタリア各戦線で戦闘を繰り広げる。
南アフリカと同じく、空軍兵士の養成拠点として機能。
なお、此処では、英国だけでなく、英国のアフリカ植民地、ベルギー領コンゴ、中東、連合国各国から
初等教育を受けに、この地にやってきている。
空軍は、西部戦線に2個スコードロン(爆撃機、戦闘爆撃機)、中東戦線に1個スコードロン(戦闘機)を
展開。
1940年のイタリア参戦時に、アビシニアのイタリア軍の侵攻を受けるが、これを撃退。
その後、アビシニア侵攻の拠点の一つとして、南アフリカ軍が展開。
アビシニア解放後は英国の空軍要員養成拠点として機能。
ナイジェリア、ゴールド・コーストに連隊、シエラ・レオネ、ガンビアに中隊規模の兵力を展開。
1941年のエチオピア解放に従軍し、帰国後、ナイジェリアに3個旅団、ゴールド・コーストに1個旅団、
シエラ・レオネ、ガンビアに各1個大隊に増強され、自国防衛に当たる。
なお、これらの都市はセネガル侵攻の拠点ともなっているし、南大西洋ルートの中継地点ともなって
いる。
- 英領(半分エジプト領)スーダン
エジプト軍、英国軍が駐屯し、1941年のエチオピア解放の拠点となった。
- フランス領西アフリカ
拠点はダカールで、此処には1940年のフランス崩壊時に遁走した戦艦Richelieu、軽巡2隻、駆逐艦3隻、
通報艦6隻、潜水艦3隻などが在泊していたが、戦艦は、英空母Hermesの雷撃機の攻撃を受け、行動不
能となる。
9月に英国海軍の指揮の下、自由フランス海軍による上陸作戦が行われたが、3日間の海戦で、潜水艦2隻、
大型駆逐艦1隻と引き替えに、Richelieuの砲撃、Martin167攻撃機の爆撃も含めて、英戦艦Resolusion、
英巡洋艦Cumberlandに損傷を与え、上陸作戦を阻止した。
なお、この際、英国海軍はSwordfish8機、Squa2機、Wallus1機を失っている。
11月上旬には、自由フランス海軍はガボンを攻略し、同型艦同志が戦闘を行った。
最終的に、1943年までにアフリカの仏植民地が自由フランス側になる。
- フランス領ソマリア
1940年にイタリアによって占領されていたが、1941年に自由フランス軍が英国の支援を得て解放し、後に、ジブチの
封鎖を実施。
- フランス領マダガスカル
1942年5月5日、英国軍が上陸し、占領。
この時、補助巡洋艦1隻、潜水艦3隻、通報艦1隻撃沈される。
なお、この間、マダガスカルの港に停泊中の英戦艦Ramilliesが日本の特殊潜航艇の攻撃を受け、大破着底すると言う
出来事もあった。
- イタリア領東アフリカ(アビシニアまたはエチオピア)
参戦時に、東アフリカの各国植民地に侵攻するが、英仏領ソマリアを除いて撃退される。
エリトリアのマッサワに拠点を置いて、空軍機323機(うち飛行不能81機)、海軍兵力は駆逐艦7隻、水雷艇2隻、潜水艦8隻、
スループ2隻、砲艦2隻、魚雷艇2隻を保有していたが、大型艦は、1941年7月までに全て撃沈され、空軍機は1941年4月末の
時点で、S.79が4機、Ca.113が4機、C.R.42が5機、C.R.32が1機のみ残存。
連合軍は、1941年1月19日からスーダンより2個インド師団と亡命アビシニア愛国軍が、24日に南アフリカ軍3個師団と西アフ
リカ国境部隊からなる兵力がケニアからそれぞれ侵攻し、総勢7万人で3ヶ月の戦闘の後、最終的に5月19日に降伏。
連合国側損害は500名で、イタリア兵5万名を捕虜とし、全土を占領(実際には散発的抵抗は11月まで続いているが)。
これにより、亡命政権は帰還。
なお、エリトリアは1952年まで英国が管理している。
- ポルトガル領アンゴラ
中立を保つ。
- ポルトガル領モザンビーク
中立を保つ。
特にロレンソ・マルケソ港は、日米、日英などの交換船が両国の国民を交換するための
港として使用されている。
日本の外交官は此処から欧州に赴任したケースもあり。
長らく中立を保っていたが、末期に宣戦布告。
本国占領後は亡命政権の影響下に置かれる。
なお、この地域で産出されたウラン鉱石1,250t以上が1940年10~11月に掛けて、ポルトガル領
アンゴラのカビンダ港から米国に向けて輸出され、これらのウラン鉱石が、広島、長崎の原爆
製造の原材料となった。
(216:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
大戦中最も多くの人が死んだ場所ってどこでしょう?
ベルリン?南京?ドレスデン?スターリングラード?東京?
レニングラード包囲戦で、市民を含めて67万人(ソ連政府発表)、一説によると100万人以上が死亡したと言われる
レニングラード攻囲戦についてはハリソン・ソールズベリの「攻防900日」がおすすめ。
大都市が包囲されるとどれだけ悲惨なことになるか、読んでると背筋が寒くなってくるよ。
けっこう重要なポストの役人の奥さんが友達から譲ってもらった皮のバッグでゼリーを作ってたり、家族をボール紙の棺おけに入れて運んできた人がそのまま墓地で行き倒れたりとか。
そして町の往来で「解体」された人間の生首だけが転がっていたとか、行きずりの人に頼まれてアパートに行った少女がドアを開けたら血抜きされた人体がぶら下がっていたとか。
攻囲がようやくとけて郵便配達が始まっても、住民が全員餓死していて受取人がいないアパートがあったとか。
ポルトガルのサラザール大統領は同じファシストでありながら、なぜナチを支援しなかったの?
逆に1940年には米軍に基地を無償提供しているようだが.
サラザールは反ナチというよりは反近代主義者で、農村主体の社会を理想としていたそうだ。
秘密警察の訓練でゲシュタポの協力を仰いでいたそうだけど、ナチとは思想的にはかなり違うところにいたようだ。
この辺の出典は中公新書ラクレの「世界ファシスト列伝」(長谷川公昭)より。
フランスのファシスト達についてもかなり詳しく紹介してるので、安いし買って損はないと思う。
ちなみにサラザールは昼寝中にハンモックから落ちて寝たきりとなり、晩年は公務を遂行できなくなっていた。
しかし側近たちは偽の書類を作って署名を求めたり、彼が安心するような内容の偽新聞を毎朝届けたりしていた。
だから彼は死ぬまで自分がポルトガルを指導していると信じていたそうだ。
まあある意味最も幸せな死を迎えた独裁者といえるかもしれない。
第2次世界大戦中の中南米諸国(といっても10ヶ国以上あるが…)ってどういう状況だったんでしょうか?
大半の国が末期に駆け込みで参戦したり、ブラジル軍がイタリアで戦ってたことぐらいしか聞いたことがない…
第一次大戦のときは、ツィンメルマン事件なんてのがあったけど。
全体としては親独的傾向が強かったものですが、余りドイツ支持を明確にすると、経済界から政府(殆どが軍事政権)が
支持されなくなるので、表だった形はありません。
1939年に中南米諸国の代表がパナマに集まり、パナマ会議が開かれます。
この会議では、カナダを除く南北両アメリカ大陸の周囲300マイル幅の安全中立海域を宣言し、その海域での交戦行動を
禁じる宣言を出しています。
しかし、ドイツ(日本も)が対米宣戦をしたことに伴い、1942年にリオ・デ・ジャネイロにて中南米諸国の外相会議を開き、
枢軸国に対する宣戦布告を決議し、まず、対枢軸国断交が行われました。
全体の流れは以上の通りですが、個々の国を見ていきますと、アルゼンチンは、英国や米国との農産物貿易で大儲けし、
第2次世界大戦後、暫くの間は、世界的に見ても大金持ちの国になって独自の超音速ジェット戦闘機を開発したりしています。
1943年に対独・伊宣戦を行っていますが、航路帯から外れていた所為で、周辺海域の対潜哨戒くらいで、軍は積極的に
動かしていません。(対日宣戦は1945年…大抵の国は対日は1945年に入ってからです)
ただ、1943年6月4日にクーデターが勃発し、新大統領に枢軸国寄りの元陸相P.ラミレス将軍が就任しますが、米国の圧力
(貿易停止)によって、中立の維持は困難になっていました。
ブラジルは、G.ヴァルガス独裁政権が共産党とファッショを禁じ、米国と良好な関係を保っていた関係と、自国艦船が潜水艦
の脅威を受けていたため、1942年8月22日に独・伊に宣戦を布告し、米国からの軍事援助を得て、自国沿岸、自国沖の哨戒を
手始めに、1943年2月に陸軍部隊を北アフリカ戦線に派兵しています。
1945年には欧州戦線にP-47戦闘機中隊を送り、イタリアで戦闘を繰り広げています。
メキシコは、1941年4月に米国と基地と地上設備の相互扶助協定を締結し、1942年5月29日に対枢軸国宣戦を行っています。
しかし、装備は旧式なものが多く、その更新に時間が掛かったため、1945年まで戦争参加はずれ込み、1945年にP-47Dの
部隊が南太平洋戦線で対日戦に参加を準備中に終戦となりました。
中米諸国は米国の干渉政策を恐れていずれも共同歩調をとり、グアテマラは1941年12月12日に対独伊宣戦布告、ホンジュラスは、
1941年12月9日に対日、12日に対独伊宣戦布告、サルヴァドルも同様、ニカラグアは8日に対日、12日に対独伊、コスタリカもニカラグア
と同様、キューバは12月9日に対日、1942年3月12日に対独伊宣戦布告。
パナマについては軍事的な要衝であることから、運河地帯は元より、全国土に米軍が進駐し、警戒に当たっています。
宣戦は他の国々と同様。
エクアドル、パラグアイ、コロンビア、ヴェネズエラ、チリ、ウルグアイは1944年まで宣戦布告をせず、中立を保っていました。
ボリヴィアは1943年4月7日に対枢軸国宣戦を行い、ペルーは各国と同様に対枢軸国断交を行った後、米国と軍事協定を1943
年2月に締結し、国内に米国の陸軍航空隊基地を建設することに同意しています。
なお、ペルーとエクアドルとの間では、エクアドルの経済的混乱に起因して、その不満を外に向けるべく、1941年に大規模な国境
紛争が発生しています。
この紛争は、1942年のリオ・デ・ジャネイロ会議で取り上げられ、結果的に係争地の領土がペルー有利に裁定されました。
(159:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
第2次世界大戦の記録を見ると、ひょいひょい新型の戦車や航空機といった新兵器が開発されているような気になります。
ガンダムのモビルスーツじゃあるまいし、そんなに簡単に新兵器は開発できるのでしょうか?
戦争が始まってから新型の兵器を開発してるわけじゃありません。
それ以前からの努力の結晶が、新型兵器なので。
また、戦時中は新型兵器の採用基準が甘くなるということも影響しております。
戦時中は数ラインの新兵器開発を同時に行うし採用基準も甘いため。
負けている方は、試験的に作った兵器や珍兵器までありったけ投入する傾向がある。
WW2当時の携帯食料ですが、カロリーメイトのような料理せずに高カロリーを得られるような食料を配布していた国はあるのでしょうか?
米軍では大戦当時Dレーションと呼ばれるチョコレートバー風の個人携帯用非常食を支給してました。
美味しくない上に本来非常用であるものが一般食として支給されたので、評判は最悪だったとか。
その他にKレーションと呼ばれる缶詰肉料理やビスケットなどで構成される戦闘用レーションも
支給されています。
(333:名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)
また,日本陸軍の航空糧食については,カルピス・ドリコノのような飲料,チョコレート(固形・絞り出しの2種),羊羹,ガム,ドロップなんかが戦時中も配給されていました(もちろん場所によるけど).
アメリカ兵はドイツ兵のことを「クラウス?」と呼んだり、日本兵のことを「ジャップ」と呼んだりしています。 こういった呼び名はどういった意味があるのですか?
また、各国兵が敵国兵士のことをどんな呼び方をしていたのか教えてください。
ドイツ人の蔑称は「クラウツ」だね。
ドイツ辺りのキャベツの漬物、ザウアークラウトを捩ったもの。
邦訳される時はまんま「クラウツ」か「キャベツ野郎」だね。
民族的蔑称。
たとえばフランス人は「フロッギー」(カエル野郎)「ジョニー・クラポー」(カエルのジョニー)
イギリス人は「ジョンブル」
イスラエル人は「ゴイ」
アメリカ人は「ヤンキー」とか
他に知られたやつだと
英海軍をライミー(ライム野郎)。水兵にライムを支給してたから。
フランス人を蛙食い(フランスには蛙料理がある)なんてのも。
第2次世界大戦中の水兵さんは制服や私物などの荷物を全て艦内に持ち込んでいたのでしょうか?(479:538)
水兵は、支給された被服いっさいと食器などを衣嚢と呼ばれる袋に入れて保管していて、
転勤するときはこれを担いで移動していました。
この他には針糸や石鹸などの入った手箱と、帽子をしまう帽子缶があるだけです。(479:557)
一般論としてWW2時の歩兵師団では、戦闘部隊と後方部隊の比率はどの程度なんでしょうか?
WW2の歩兵師団について(国や時期などによって変化があるのは知っていますが)
独、米などの歩兵師団は凡そ12000~16000人程度で構成されていますよね。
1)これは輜重部隊や野戦病院などを含む数字でしょうか?
2)一般論としてWW2時の歩兵師団では、戦闘部隊と上記のような後方部隊の比率はどの程度なんでしょうか?
検索したところ、日本陸軍の歩兵師団では戦闘部隊1万、後方部隊5千との数値を見つけました。
1) 含む
2) 編成によってかなり違ってくるので一概にはいえない。そういうあいまいな聞き方すると回答が返ってきにくいよ。
WW2ドイツ歩兵連隊なら3000人中1200人ぐらいが戦闘要員
1)師団隷下の輜重部隊(段列など)や野戦救急部隊などは含まれる。軍団や軍直轄の輜重部隊や野戦病院は含まれない。
2)時代、国、種類によって異なるが、だいたい2:1。
(485:912,919*一部改編)
急降下爆撃機ってのはどのくらいの角度で急降下してどのくらいの高度で投下してどのくらいの命中率なの?ついでに急降下時に速度はどれくらい出るもんなの?
国によっても違うが、WW2のころなら、30度くらいの角度で高度300m~1000mくらい。速度は500km弱。命中率は20%~80%ってところ。
マレー沖海戦で九六陸攻、一式陸攻が英国の戦艦を沈めるまでは、航空機が軍艦を沈めることができるなんて誰も思っていなかったの?
第一次大戦直後の1920年には米海軍が老朽化した戦艦インディアナを航空爆撃で撃沈する実験を行い成功している。
さらに1921年には米陸軍のビリー・ミッチェル将軍が旧ドイツ海軍戦艦オストフリースラントの爆撃撃沈実験に成功。
ド級戦艦であっても航空攻撃で撃沈しうることを証明してみせた。
ということで、大戦前から試みは為されている。
昭和15年の日本海軍の演習では、戦艦部隊は航空攻撃で大打撃を受けたことになってる。
第2次世界大戦では生物化学兵器は使われましたか?
兵器として優れていないのであまり大規模には使われなかった。
日本軍が青酸ガスなどをちょこちょこ使ったらしい。
ただ日本軍の化学生物兵器関連の情報は残虐性を強調する為に誇張されまくってるので注意が必要。
明らかなねつ造や非致死ガスと区別がついてない例が少なくない。
細菌兵器には日本軍が飛行機から病原菌入り麦をまいたという主張があったが、真偽のほどは知らない。
とりあえずそんな方法じゃ伝染病を発生させれる可能性が低い。
(514:967:モッティ ◆uSDglizB3o)
細菌兵器はノモンハンで日本軍が使用していますね。
といっても、チフス菌を培養した寒天をハルハ川に流したという程度で、
却って散布した隊員に感染による死者を出したりしてます。
もちろん効果はほとんどありませんでした。
(514:967:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
2chでイタリア軍はなぜネタにされるんですか?
石油と産業基盤が無かった。しかし、ドイツが拡大志向でそれにファシストの先輩にして
インテリのムッソリーニが張り合おうと頑張ったあたりが不幸の元だと思う。
小さい部隊、例えば魚雷に跨ったフロッグマン部隊とかは頑張っています。
だけど、戦車や航空機とも開発が他国に後れ取ってたり、東部戦線ではドイツから
酷い扱いを受けて徒歩で帰還したりとか、数と質で劣るイギリス艦隊に撃ち負けたりとか、
軍港に戦艦並べておいたら複葉機に夜間雷撃を食らったとかのエピソードが一杯。
日本軍の兵は、何日戦って何日休みを貰えたんですか?また、米軍ではどうでしたか?
米軍の場合は、例えば、アイゼンハワー将軍は、欧州で戦闘している全陸軍の古参兵に
10日間の休暇を交代で与える様命令を出しています。
歩兵の場合は難しかったりしますが、それでも、それなりの対応が出来ました。
この休暇では、例えば、イタリア戦線で戦っている兵士達は主にカプリ島へ、西部戦線で
戦っている兵士達は、パリやロンドンで過ごすことが出来ました。
平時の日本陸軍の場合は、軍隊の休暇日は日曜日、大祭日など国民一般の休日の他に、
慰労、褒賞などによる休暇が与えられる場合がありました。
この休暇が幾日か続く場合は、帰省、外泊も認められます。
海軍も同様で、日曜日は艦内生活でも普通休日になっていますが、演習や特別作業が
ある場合はその限りではありませんし、上陸は乗組員の半数が許されるだけです。
また、土曜日は艦内掃除の後、午後に半舷上陸が認められますが、大抵は艦内掃除は
午後にまで掛かることも珍しくありません。
勿論、当直などがある場合は此の限りにありませんし、戦闘中は言わずもがなです。
(530:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
アメリカの戦中プロパガンダに出てくる日本人
丸ぶち眼鏡と細目に出っ歯とチョビ髭の日本人ってヒットラーとムッソリーニに並べて出てくる
ところを見ると指導者(東条か天皇)と思われますが日本人全体のイメージを擬人化した様にも見えます
果たして特定の個人なのか日本人全体なのかどちらなんでしょうか?
両方です。
片やナチの先棒を担ぐ軍国日本の象徴、片やそれを操る(とされていた)指導者。
大抵の日本人は出っ歯、ひしゃげた鼻、つり上がった目、高い頬骨で顔を描かれ、
独伊ソ(1941年6月まではソ連もあちら側と思われていた)に比べると殊更に小人
として描かれています。
特定の個人となると、先ず1941年12月22日には、Timeの表紙が山本五十六中将でした。
但し、彼の顔は、尖った耳、険しい目、意志を示す厚い唇で描かれていて、凡そ本人に
似ても似つかぬもの。
あと、Colliersと言う雑誌の表紙には、昭和天皇をカリカチュアにした作品が良く出て来ます。
こうした作品を描いたのはポーランド系ユダヤ人の画家であるArther Szykと言う人物で、
彼はヒトラー憎さの余り、それに協力する者全てを人非人として描いたのでした。
彼の作品は、1941年12月以降、米国民がその憤怒を表したものとして絶賛され、各地で
巡回展示などが行われています(尤も、そうした風潮を冷ややかに批判していた人々も
いた訳ですが)。
(535:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
反日プロパガンダ絵とか見ると、大抵丸めがねで出っ歯でネズミというふうに日本人が表現されてます。これは東條のルックスも関係してますか?
眼鏡ちびの出っ歯猿という日本人のイメージを作ったのはディズニーの漫画だそうな
短編アニメに眼鏡ちびの出っ歯猿のキャラを出した際、米人なら誰でもイメージする
日本人独特の英語(RとLの区別ができない、つづり字通りに読み上げるなどなど)を
しゃべらせたことが原因だとか
まぁ根本的にはディズニー自身が人種差別主義者で、特に日本人が大嫌いだったから
なんだが
上の説のソースは小野耕生氏のエッセイね
大戦中、日本の鉱山や炭鉱では労働者が兵役に就いたために朝鮮半島などの徴用者を働かせたそうですがアメリカ、英国やドイツ、ソビエトの鉱山や炭鉱の事情はどうだったのでしょうか?
ドイツはフランスなど占領地から労働者を徴用したり、ロシア兵捕虜や強制収用されたユダヤ人を働かせてた。
ソ連はドイツに比べれば人口の点で労働力は大きなアドバンテージがあったし、女性労働者を大量に動員した。
炭鉱はともかくとして、世界で女性の社会進出が進んだのは
第2次世界大戦のおかげっていう話はあるよな
イタリアやハンガリーといった、日独以外の枢軸国はB-17やB-24などの絨毯爆撃を受けましたか?
絨毯爆撃の名称はベトナム戦争からです。
それ以前は無差別爆撃、西欧ではドレスデン爆撃が有名です。
ハンガリーのプロエスチ(カタカナ書きってこれでよかったっけ?)が爆撃されたのは有名。
もっとも連合軍側もこの爆撃行でかなりの損害を出した。
イタリアならドイツ軍が立て篭もった有名な修道院(今なら確実に歴史遺産)が爆撃されて跡形もなくなった話とか。
レインボー作戦ってどういう作戦だったんですか?
太平洋戦争の真珠湾攻撃を阻止するため?
そんな作戦は存在しません。
レインボー計画というのは、米国が立案してた戦前の対枢軸戦争計画の総称。
特に真珠湾攻撃を意識した計画ではありません。
当時の米国は、平時に戦争計画をする際に、
仮想敵国などに色名を当てはめた呼称をしており、総称をカラー計画と呼んでいました。
例えばオレンジ色というと日本のことで、オレンジ計画というのが対日戦の想定でした。
そのうち枢軸国が形成されてくると、対枢軸戦を想定したレインボー計画に発展しました。
第2次世界大戦のエースパイロットって世界中で何人くらいいるんですか
残念ながらすべてのエースの数を把握しているわけではありませんが、
例えば、アメリカでは陸軍航空隊だけで大戦中に1300人以上のエースを輩出しています。
ドイツ空軍のエース、騎士十字章以上を叙勲した戦闘機パイロットは総数で566人だそうです。
また、フィンランド空軍は96名のエースを生んでいます。
日本陸海軍はヘンリー・サカイダの著書ではそれぞれ百数十名が挙げられていますが、
これらの多くは記録があいまいなので注意が必要です。
(543:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
第2次世界大戦当時、片腕の司令官はいたのでしょうか??
隻腕の司令官と言うと、日本海軍に塚原二四三大将がおられました。
塚原大将は第一連合航空隊司令(少将)として漢口に赴任していた昭和14年10月3日、
新機材の領収を見届けるために一連空の主だった幹部と一緒に飛行場の戦闘指揮所に
いたところを中国空軍のSB爆撃機に空襲され、左腕に重傷を負って切断しました。
これによって塚原中将(14年11月に進級)は艦隊司令の道を断たれましたが、
航空畑の将官として貴重な存在だったために退役することもなく現役を続行、
昭和16年9月に陸上基地部である第十一航空艦隊司令長官としてマレー沖海戦・
比島・蘭印方面作戦を戦い、ラバウルにも進出しています。
のち航空本部長・横須賀鎮守府司令長官を経て昭和20年5月に大将に進級。
これは井上成美とともに日本海軍最後の大将進級でした。
(564:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
ドイツと日本、連合軍によって投下された爆弾はどちらが多かったか
第二次大戦全期 連合軍爆弾投下総トン数(原子爆弾TNT換算量含む)
対独戦1,643,398t
対日戦 155,000t
太平洋戦争中、連合国軍機によって投下された爆弾総量は656400トンだった。
そのうち24%160800トンは日本本土に投下された。海軍機により6800トン、
B29以外の陸軍機により7000トン、B29により147000トンだった。対照的にヨーロッパ戦線
における総爆弾量は2700000トン、うち1360000トンがドイツ国内に投下された。
ttp://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs15.html
Rolling Thunder作戦。北ベトナム領内とHo Chi Minh trailの空爆開始。
(当初8週間で終了するはずだったこの作戦は3年続いた。第2次世界大戦の4倍
の爆弾・計800万トンが投下され、この数字は史上最大である)
ttp://gold.natsu.gs/WG/ST/239/index.html
ベトナム1965
(もう少し特攻隊が頑張っていたら:32)
大戦中の各国の鉄鋼生産量は?
独は大戦中にソ英両国を合わせたぐらいの鉄鋼生産量があった
41年 独3250万t 日700万t ソ1450万t 英1250万t 米7520万t
42年 独3340万t 日760万t ソ1000万t 英1310万t 米7800万t
43年 独3570万t 日880万t ソ1200万t 英1320万t 米8060万t
それに「歴史群像アーカイブ」第7巻独ソ戦に書いてあるように
ソ連はトラック、鉄道車輌、レール、アルミニウム、発電設備、工作機械など工業製品、食糧に至るまで
米英加のレンドリースに頼っていたから独より下と評価せざるを得ない
大戦前の各国の交通手段普及状況は?
1939年時の各国の主要幹線の道路舗装率
国名
舗装率
日本0.9%
アメリカ39%
イギリス44%
ドイツ36%
フランス31%
イタリア28%
- 主要国交通機関概要表
①鉄道延長mm/一万人
②機関車数,客車数,貨物車数
③自動車数自動車台数/人口千人
①3.7万m3.9m/一万人
②0.4万1.1万7.3万
③20.9万3/人口千人
①63.3万m34.1m/一万人
②4.5万2.4万179.0万
③2616.7万213/人口千人
①8.1万m12.0m/一万人
②2.0万4.2万61.9万
③202.8万45/人口千人
①13.8万m11.9m/一万人
②2.0万6.3万57.3万
③110.0万17/人口千人
①6.6万m15.8m/一万人
②1.9万3.2万49.4万
③218.0万52/人口千人
①2.9万m4.9m/一万人
②0.6万0.7万12.5万
③39.0万10/人口千人
①8.5万m-
②・・
③34.5万2/人口千人
(列強の総合力2:51-53)
大戦時は各国に女性の前線兵はいたのでしょうか?
ソ連は戦時中から多数の女性兵士が前線勤務に就いていた。
リディア・リトヴァクなど、女性の戦闘機エースも誕生している。
その他の主要国は、基本的に後方勤務のみ。
ただ、工場から前線に新造の飛行機を輸送する女性パイロットなんてのは結構いたりする。
WW2で309人をヒットし、うち36人がドイツ軍の狙撃兵だそうな
他にも2000人程度の女狙撃兵がいたそうで、終戦時生き残っていたのはうち500人程度だとか
戦後の写真もあるが、いかにもスラブ系のたくましいおっかさんって感じ
スペイン内乱時、フランスは戦闘機を送ったそうですが
ブルムが首相になって、英国と協調して、Dewoitine D.372戦闘機14機、Potez 54爆撃機6機を
引き渡しています。
但し、あくまでも民間機としての引渡しでしたので、兵器装備無しの状態でした。
その後、更に19機のDewoitineを送り込みますが、これまた兵器装備の無い状況でのもの
でしたので、スペイン人民戦線軍は自己の老朽化兵器のストックの中から使えるものを探して
装備しています。
13機のDewoitine戦闘機は、兵器装備無し、パイロット無し、予備部品無しの状態で到着し、
その内5機は破壊されました。
これを修理するのに、Toulouseからメーカーのメカニックが来ましたが、彼等は現金払いで
ないと動きませんでした。
以後、Potez544爆撃機1機、BlochMB210爆撃機1機、Loire46戦闘機が5~6機、BlochMB200
爆撃機が2乃至4機引き渡されています。
最終的に、フランスからの援助は26~33機程度しか戦力にならなかったりします。
後、D.510戦闘機はエンジン無しの状態でスペインに送られ、ソ連製のM100エンジンを取り付けて
使用されましたが、これはヘジャズ王国(現在のサウジアラビア)向けとして表向き輸出されたもの
でした。
(569:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
第2次世界大戦中、空対空ロケットはどれくらい普及していたんでしょうか?
ペイロードが許せば必ず搭載するような代物だったのか、対空バズーカのような変わり種だったのかが知りたいです。
第2次世界大戦当時だと、ロケット弾はほとんどが空対地、空対艦で、空対空のものはごく少ない。
一番使ってるのが第2次世界大戦末期のドイツ本土防空部隊。地上用の重い21cmロケット弾を積み重爆撃機の編隊めがけて発射。
直撃させるのは難しいが、編隊が崩れて攻撃がかけやすくなる。あと有効だったのがジェット戦闘機Me262用のR4Mロケット弾で、
これは小型のを一斉発射するもので米軍の重爆撃機に深刻な被害を与えた。ただし、無誘導ロケットは戦闘機など軽快に機動する
敵に当てるのは難しい。
これ以外にも、ソ連軍(対地用だけど、一応爆撃機に対しても撃てる)、日本海軍でも空対空ロケット弾を使っている。
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