負け豚の遠吠え
■ 中国韓国そして左翼による嘘・捏造の歴史史観に断固反発せよ!
先日書いた南京大虐殺について、続きを書きたいと思います。
【嘘?】 歴史の虚構?中国のプロパガンダ? 南京大虐殺の真実とは? 【捏造?】
まずは、ポイントをおさらいしておきます。、
1.日本は近隣の悪徳国家で特定アジアと呼ばれる、中国韓国北朝鮮にたかられている。
2.連中は、たかる口実として、「日本は戦時我々に酷い事をした」という歴史を持ち出す。
3.その歴史の代表的な例として、韓国の従軍慰安婦問題があり、中国は南京大虐殺がある。
4.その連中が持ち出す歴史問題は、ほとんどの場合、嘘・捏造・誇張である。
5.しかし、反日左翼らが充満した政治やマスコミにより、その嘘がまかり通りそうな危機的状況だ。
6.そんな中、河村名古屋市長が南京大虐殺について、「そんなのなかっただろ」って一石を投じる。
さて、韓国の従軍慰安婦については前にも取り上げましたので
南京大虐殺について続き。
・南京大虐殺とは
簡単に言うと、
日中戦争の時に日本軍は当時中国の首都だった南京に突中し、陥落に成功。
その時に、日本軍は南京で強奪強姦虐殺を繰り広げ、
30万人もの罪なき一般庶民を虐殺したと言われる事件。
戦争なので、当然軍隊同士の戦闘による殺し合いはある。これは無問題。
よって、問題は一般市民に対する虐殺になる。
中国・左翼側の主張も基本的に
「南京の市民を虐殺した」
なんですが、そんな事実が見当たらず、形勢不利になってくると
「戦闘員捕虜を殺した」と言ってきたりし、議論をぼやけさせる。
・本当に南京市民30万人も虐殺したのか?
あなたの両親を残すことができ、何歳です
この数字についても様々な矛盾が指摘されている。
当時の南京市の人口は20万人だった。
つまり、全部皆殺しにしても最大20万人という事になる。
20万人のうち、半数の10万人が2回殺されなければ辻褄が合わないような数値だ。
また、その数十日後の調査では、人口が25万人と逆に増えている。
20万人皆殺しにして(しかも10万人は2回殺された)
0人になった南京市に数十日後には、人口が25万人と増加!
ゾンビかよww
もちろん、ゾンビなんて事は無いわけであるが、
とすると、日本軍が占拠し、市民20(30?)万人が皆殺しにされた場所に、
恐怖の残虐日本軍がいる場所に、わざわざ中国市民が25万人も流入して来たことになる。
自殺しに来たのかよw
・30万人という数は?
30万人である。
東京ドーム満員で約5万人。
30万人というと、その6倍になる。
東京ドームの6倍の人数の死体の山である。
まさに町中至る所に死体が散乱しているはずであるが、
その虐殺死体を目撃したという信用ある証言は限りなく0である。
当時も戦場報道カメラマンが現地におり、戦争取材をしていた訳だ。
日本のカメラマンだけなら意図的に隠す可能性もあるかも知れないが、
世界の様々な国の報道カメラマンが現地にいたのにも関わらず
そのおびただしい死体の山を見たものがいない。
・日本軍世界最強伝説?
日本は世界で唯一核爆弾という超大量殺戮兵器を使われた国です
その核爆弾を落とされて、直接被爆で広島で14万、長崎で9万の命が奪われました。
"トップ10 " "寂しい"
逆にこんなとんでもない核兵器2発も使って23万人。
南京の日本軍は殆ど刀と鉄砲と素手だけで、30万人を一瞬で殺害した!?
おいおい、日本軍凄すぎねーかぁ?
そんな装備で最強兵器の核爆弾二発を圧倒的に凌ぐ破壊力!
しかも元気に強姦しまくりながらだぜ?
どんだけすげーんだよ、日本軍。
つーか、そんだけ凄けりゃアメリカにも戦争圧勝してるっての。
・日本軍が虐殺をする動機は?
あの時代、戦争の為の備品、銃弾などは極めて貴重であった。
国民は金属製の洗面器まで国に差し出してその原料に協力したほどだ。
つまり、無駄に使用する事は御法度なわけ。
戦闘でもないのに、無意味に市民を虐殺する為に、
そういった貴重なものを無駄に使うなど考えにくい訳だ。
さらに言えば、日本は南京突入の数日前より、
南京市民に対して、
「近々戦闘開始するから、安全区に避難するように」
と言う趣旨のビラを撒いている。
虐殺する気満々な人たちがそんな獲物を逃がすような事するか?
そもそも何で意味なく無駄な労力や資源消費してそんな事するかってこと。
・南京大虐殺の写真
中国側が証拠として出した、南京大虐殺の写真。
今でも、南京にある南京大虐殺記念館に数多く展示されている。
え?証拠の写真があるというのか?
ところが、中国の国の体質同様に、
インチキ臭い写真ばっかりである。
というのも、日本の歴史研究学者らの調査で殆どがインチキ写真と分かってしまった。
例えば、この写真が略奪の証拠写真らしい。
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「日本軍のいくところ略奪されて鶏も犬もいなくなった」
中国はこう説明されているが、
これだけで略奪の証拠写真と言われてもねぇ。
しかも南京大虐殺は1937年の12月の発生ですが、
「支那民家で買い込んだ鶏を首にぶら下げて前進する兵士(10月29日京漢線豊楽鎮にて)」
と、事件発生数ヶ月以前に雑誌「アサヒグラフ」に掲載された写真だったりする。
この写真なども12月なのになぜかTシャツ一枚の姿の写真だったりとか、
こんな何の変哲のない写真で虐殺証拠写真と言われてもねぇ。
中国側が証拠として出した、南京大虐殺の写真というものは
そういったおかしなインチキ写真ばっかりだったようで
結局、まともに証拠として通用するような写真は一枚もなかったらしい。
・南京大虐殺の写真その2
先に書いたように、南京虐殺の証拠となる写真は無い。
しかし、実際に当時の南京の様子を撮影した写真は沢山残っている。
それはどんな写真かというと、
日本軍の人と南京市民や子供たちが、楽しそうに談笑したり、お菓子をもらったりというもの。
30万人虐殺した恐怖の日本軍と市民が仲良く談笑かよww
訳わかんね〜
えーこういった写真が意味する事は、どういう事かと言うと、
当時、南京市民は日本軍の占拠を概ね歓迎したということ。
え?と思うかもしれませんが、
実は当時の中国は国民党やら共産党やらでドロドロした内戦状態でもあった訳。
で、その中国人兵士は、殆ど給料をもらってなかった事と、そもそもの中国人の気質が相まって、
まさに市民から略奪したりしていた訳。
そんな状態に辟易していた市民は、日本軍の占拠で中国の兵士が居なくなったことで
治安が良くなって、それを歓迎していたという。
だから、こんな写真も残されてたりする訳。
(日本軍入城を目の前にしながら、拍手で迎える南京の中国人)
そう考えれば、先の人口が占拠前の20万から占拠後の25万に増加したことも頷ける。
南京では日本軍が虐殺や略奪をしたのでなく、
全く逆で虐殺や略奪をした中国兵士を撤退させ、治安向上に貢献したという可能性の方が高そうだ。
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