日本におけるイスラム教 〜女性に差別的なのか?〜
おそらく多くの日本人は、イスラム教は女性に差別的であると考えていると思います。
そして、その解釈を利用したような女性差別を日本人ムスリムもしているようで、下記のような例がありました。
日本人ムスリムの大久保賢さんは、埼玉県春日部市にある一ノ割モスクのイマーム(導師)を務めている。彼は、インドネシア人女性からDVの相談を受けることがあるという。 「日本人男性と結婚してDVに遭って逃げたインドネシアの女性がいるんですよ。そういうのは日本語のメディアには絶対出てこないから、みんな全然知らない。日本人の側からだけ見て、『外国人が悪い』と言う。日本人もけっこう悪いことをやってますよ。深刻なケースでは、何かあるとすぐ殴られる、無理やり酒を飲まされる、豚肉を食べさせられる。その人は、怖くなって、最後には子供を連れて逃げた」 ムスリムの女性はムスリムの男性としか結婚できない。大久保さんによると、このような暴力を振るう男性は大抵、ムスリム女性と結婚す� ��ためだけにイスラム教に入信した人たちだという。 大久保さんは、ムスリムの国際結婚カップルの問題を考える時の注意点を指摘する。「弱い方が割を食うってことです。例えばパキスタン人の男性が日本人の女性と結婚する場合は、女性の方が弱者だから割を食う。外国人とか日本人とかいう問題ではない。それを見ないと『日本人対外国人の問題』になっちゃう」。 彼らはブラジルに何が休日を祝うのですか? 「旦那さんには実は第2妻がいた」一夫多妻の本質は社会救済策、厳しい条件もある 佐藤 兼永 2011年11月22日(火)(登録要、日経ビジネスオンライン)より |
では、コーランでは女性についてどのように書かれているのでしょう?
コーランの暗記よりも、コーランを解釈する力が大事(日経ビジネスオンライン 要登録)で出てきた外国人ムスリムと結婚している日本人女性ムスリムは、
「私はコーランに書いてあることを『はい、どうぞ』って、そのまま子どもの世界にしたくない。納得できないことも山盛り書いてあるから。特に女性については『これそのまま渡せねーよ』『こんなこと息子が信じるようになったら困るんだよ』みたいな感じです。そこが私が旦那と確実に違うところです。子どもたちには、世界を先に見てから、コーランに書いてあることを自分で曲解して、強引に、自分にいいように解釈して生きていってほしい」
と言っています。
この方(大槻さん)が自分の子どもにそのまま渡せないと考えるのは、以下のような理由です。
どのようにナッシュビルには、その名前を得ました
例えば、親の財産の相続に関する部分。コーランの規定では、男性と女性の相続額の割合が異なる。男性は女性の2倍の額を受け取ることになっている。また1人の男性の証人は2人の女性の証人に値するとある。女性を扶養することが、男性に対する推奨行為でなく義務になっていることも、大槻さんは違和感を覚えるという。そしてコーランの中で直接女性に向かって語られる教えはほんの僅かしかないことも。 |
しかし、「歴史的視点に立てば、たとえば女性に相続を認めたことは画期的なことだった」のです。
7世紀アラビア半島の部族社会において、一部の例外を除き、女性の相続権は認められなかった。このことは、相続額の差の問題についての賛否を問わず多くの知識人などが一致して指摘することだ。男性には女性を扶養する義務があるのに対し、女性には男性を扶養する義務がないのだから、男性が女性よりも多くの財産を相続するのは当然だという考え方もある。 女性の証人としての価値に関しても補足しておこう。コーランの中には男女の証人としての価値に差をつける記述が確かにあるが、男女の証言能力に区別をつけない記述も存在する。 |
まあ、その時代の書物ですから、当然といえば当然です。
前回の一夫多妻制もそうなのですが、現代の感覚(それも欧米中心の感覚)で眺めれば違和感を感じるものがあるのは当たり前です。
問題なのはその時代に即した書物を文字通りに受け止めて、今に生かせない考え方ということでしょう。
別の国に何をもたらすために
これはイスラム教だけでなく、キリスト教でも言えるでしょうし、他の宗教、あるいは宗教だけでない他の書物や歴史観にも言えるかもしれません。(キリスト教の場合、聖書に書かれていることは一字一句正しいとして、進化論や化石を否定しようと躍起になっている人がいます。ナザレのイエスが伝えたかったのは果たしてそこなのか?という話です)
イスラム教を信じるということは、唯一の神であるアッラーの存在を信じることで終わらない。アッラーが人間に下した啓示であるコーランを信じることも必要だ。コーランには人が良きムスリムとして取るべき行動・取ってはならない行動が書かれている。それは礼拝のような信仰行為だけでなく、道徳や生活上のマナーなどを含む人の営み全般をカバーする。 やっかいなのは、コーランにすべての答えが書かれてあるわけではないことだ。そこでコーランに書かれていないものは、預言者ムハンマドの言行録であるハディースを参照する。しかしハディースに書かれていない問題も当然ある。コーランやハディースを元に、正しい答えを導きだすことが必要となる。 コーランやハディースの解釈し、正しい答えを導きだ� �資格は、イスラム教に関する広範な学識を備えた法学者だけが持つというのが伝統的な考え方だ。 (中略) 大槻さんはこう言う。「コーラン、ハディース、その解釈学ってのを丸ごと一つ、こういう大きな風呂敷包みで受け取ることを強要はされてるんですよね。そこには誰もタッチできない。『この風呂敷包み一式を分かってないんだったら、お前には何も言う権利がない』みたいな議論に最終的にはなってきちゃう」。 |
そんな仮定の話をしても仕方ないでしょうが、宗教の開祖のような方が今の時代に生まれていてまた宗教の道に進んでも、以前の教えとは少し違ったものになるはずです。
しかし、それは心変わり……と言うと変ですが、そういったものではなく、根っこの部分、本当に大事な部分は変わっていないのだと思います。
人々に救いをもたらしてこその宗教であり、その人々の要求というのは常に変わり続けているのです。宗教も時代によって変わるのはおかしなことじゃありませんし、そうじゃないと一番大切な部分が変わってしまうでしょう。
シリーズ
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