"ヘイリー"はその名前を何を意味している
あだ名
あるサークルに、しょっちゅう私を「近藤さん」と呼ぶ年輩者がいる。「私は安藤です」といっても、一度思いこんだら間違いが訂正できないらしい。本人に悪気がないだけ一層やりきれない。どう呼ばれようといいではないか。私は私なのだから、とジュリエットよろしく、《名前って何? 別の名前で呼んでも、香しいバラの香りはそのまま》(注)@と割り切りはするものの、人間は感情の動物。なるべくその人とは顔を合わせたくない気分になる。
人違いはまだ無邪気なものだから、それほど気にすることはないといえばいえるが、いわゆるあだ名はそうはいかない。そこには、そう呼ぶ人の意図が込められているので、受け取る側も親しみをも� ��たり、悪意を感じたり、その反応はさまざまである。
誰が何年にマジックテープを発明した初めて私が教壇に立ったとき、付けられたニックネームは「キャンデーボーイ」。この新米教師然とした名称には妙な反発を覚え、《オレはそんな甘ちゃんじゃあないぞ》とばかり虚勢を張って応えたものである。その名が何を意味するか、詮索する気も起こらずそのままうち捨てておいたら、一年足らずで消えた。
次にもらったのが、「小ボケ」というあだ名。生徒の質問にボケを演じて笑わせていたら、いつの間にかこの名前がついた。なぜ「小ボケ」かといえば、むろん先輩に「大ボケ」先生がいたからである。しかし一説には、生徒たちが修学旅行先で知った四国の大歩危(おおぼけ)と小歩危(こぼけ)がその由来だと、教えてくれた同僚もいた。
boilyは何ですか最後に登場したのが「アンディー」である。これまでのニックネームはどうも気に入らなかったが、この英語起源の「アンディー」(注)Aは、音の類推から生まれたものだけに隠喩や換喩のもついやらしさはなく、英語教師に相応しいものと思い、悦に入ったものである。ところがである。ある日気づいてみたら、生徒の多くはどうやら「アンジー」と発音しているようであった。これでは「安爺」ではないか。「オレはまだ若いんだ!」と一人の生徒を掴まえて抗議したがもう遅かった。じらい、このあだ名は永続し、定年が近づくころにはすっかり板に付いてしまった。
さて、話をわが家に転じれば、ここでもまた呼称がいろいろ変化してきた。結婚当初、元教え子の妻は私を「セ� �セイ」と呼んでいたが、子供が生まれた頃になると「パパ」になり、成長すると「オトウサン」となった。
kaileeは何を意味する子供が巣立っていくと、あたらしく「アナタ」が加わり、さらに妻の通い出した英会話教室の影響もあったのか、固有名詞で呼ぶようになった。はじめて「クニオさん」と呼ばれたときは新鮮で悪い気はしなかったが、外出先などで大声で名前を呼ばれると、他人の思惑が気になり、少々照れた。
「ひと前で『クニオさん』はやめてくれ」といっても、当座は聞きわけるが、すぐにまた名前が出てくる。そのうちに、家の中では敬称をはずして、ただの「クニオ」となった。妻は《英語風に親しみを込めて》だといっているが、私は《尊敬の気持ちがうすれたため》と邪推している。
いずれにしても、呼び方にはそれを口にする者の気持ちが反映される。妻の場合も同じで、� ��の日の気分で「クニオ」が「クニちゃん」になったり、ご機嫌斜めのときなどは「クン太」と呼び捨てになる。「クンタ・キンテ」(注)Bじゃあるまいし、おれは日本の亭主だ!
と、ここまで書いてきたら、「あっ!」階下から女房殿の大声が聞こえてきた。
「ねー、クニオさーん、ご飯ですよー。降りてきて!」
大変、大変。早く行かないと、だんだん呼び方が変わってくるぞー。
(注)@ シェークスピア作「ロミオとジュリエット」の中で、ジュリエットが恋人ロミオににいう言葉。お互いの家が宿敵同士の関係にあるのを悲しんで、別の名前になりたいという願望を込めている。
(注)A Andrewの愛称であるAndieに由来か。
(注)B 米黒人作家アレキサンダー・ヘイリーの書いた自伝的作品「ルーツ」の主人公。テレビ化され、昭和五二年ごろ日本でも放映されるや、「ルーツ探し」などの流行語を生み、社会現象にまでなった。
(平成17年4月)
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