2012年2月23日木曜日

どのように夏のmanys日は2012年にある

エレファントカシマシ - Wikipedia

エレファントカシマシ(THE ELEPHANT KASHIMASHI、ELEPHANT KASHIMASHI)は、1981年に結成された日本のロックバンド。

バンド名は漫才トリオのかしまし娘と映画「エレファントマン」のインパクト、音が気に入って遊び半分でつけたがそれ以上の意味はないとHEY!HEY!HEY!で宮本が語っている。彼らの音楽はROCKIN'ON JAPANの編集長山崎洋一郎や渋谷陽一らに常に高く評価されている(ちなみにこの両名は『CHERRY BOYS』と称してポニーキャニオン以降のアルバムのクレジット欄にSpecial thanksとして記されることとなる)。 また影響を受けたミュージシャンは数多く、2003年にはトリビュートアルバム『花男』が発売された。 日比谷野外音楽堂でのコンサートは1990年以来毎年行われている。 公式ファンクラブは「PAO」である。


ラクロスカールrunkトップスター

[編集] メンバー

宮本浩次(みやもと ひろじ、1966年6月12日 - )
東京都北区赤羽台出身。ボーカル&エレクトリックギター&アコースティックギター担当。主な使用機材は「TANGEMAN STRAT」「N.Y LAB TELE」「K.Yairi」。昔は「六絃(Rokugen)」「Gibson」「G&L」「Journeyman」などを使用していた。
詳細は本人の項目を参照。
石森敏行(いしもり としゆき、1967年3月18日 - )
東京都北区赤羽育ち。エレクトリックギターを担当。主な使用機材は「Gibson Les Paul」もしくは「fender Stratocaster」「moon TELE」。愛称は「石君(いしくん)」。
宮本との共作クレジットは、ガンダーラコンビネーション。
宮本・冨永とは北区立赤羽台中学校にて1年時同じクラスだったことから知り合う。
デビュー当初は宮本と同じくらい話すキャラであったが、EPIC時代後期から口数が少なくなってしまったらしい。
宮本と特に仲がよく、ライブやTV出演時において宮本に一番いじられる。叩かれたり罵られたりと不条理な扱いを受けることが多いが、決して怒らず笑っている。ツアー先や合宿先ではよく一緒に美術館に行ったり散歩などに出掛けているらしい。
さらに宮本は頻繁に石森の家を訪問するという。宮本曰く、「表情だけで何を考えているか分かる」「相棒」。
宮本に心酔しており、尊敬する人物を訊かれて「ミヤジ」と答えるほど。しばしば「こんなに凄いミヤジが死ぬなんて信じられない」と発言するらしい。曲作りや録音作業で宮本を手伝うことが多く、機械を苦手とする宮本に代わり機材を操作している。「good morning」ではエディターとしてクレジットされている他、シングル収録の弾き語りVerの録音にも携わっている。
またライブのセットリストを宮本と共に決めている。
髪型は現在短髪の黒髪。初期のパンチパーマからやや長めの黒髪、短髪で金髪、赤髪、オレンジの髪、丸坊主と変遷が激しい。非常に険しい形相でガニ股でギターを弾いているが、「一生懸命弾いているから」とのこと。
体力の維持を心掛け、ジム通いや走り込み、水泳などの運動をしている。180度の開脚が可能なほど身体が柔軟。このため筋肉質で引き締まった体をしているが、「エレファントカシマシ5」の時期には、80kgを超える体重だったという。酒に非常に弱く、コップ半量のビールで二日酔いになる。また肝臓を壊したこともあり、あまり酒は飲まないようにしているらしい。
既婚(三度目)。身長173㎝。
高緑成治(たかみどり せいじ、1966年4月15日 - )
東京都中央区月島出身。エレクトリックベースを担当。主な使用機材は「TopDog J.
どのように新しいIDを作成するBass」。
愛称は「成ちゃん(せいちゃん)」。宮本との共作クレジットはダンディーブラザーズ。
常に寡黙で顔の彫が深く、味のある顔立ち。宮本は初対面時、高緑があまりに美形だったため照れてうまく話せなかったと言う。
冨永とは高校の同級生で共に頭髪検査に引っ掛かったと言うきっかけで出会い、仲良くなる。そして冨永経由で宮本・石森とも知り合った。元は6人ほどいたバンドメンバーが宮本・石森・冨永の3人となってしまった際に勧誘され、加入することとなった(尚元はギタリストであったが冨永の勧めで加入に当たりベーシストに転向)。加入以前に何度か旧メンバーのエレカシのライブを見に行っており、「かっこいいな」と思っていたようで、バンドに誘われた時、宮本に「やる?」と訊ねられ、「やる」と即答した。この時、お台場(その当時は今のような観光地ではなく開けた場所だった)に行って全員で乾布摩擦をしたというエピソードがある。
「ROOTS」で暴露された話によると、ある日、宮本と冨永が高緑の家に遊びに来た際、父親に起こされたところ「来ても起こすなって言ったろ!」と怒鳴り親子げんかになった。気まずくなった宮本らはその日は帰ったという。宮本と冨永は「あれは困った」と、今では笑い話になっている。実家は銭湯だったが、月島周辺の再開発の波に呑まれ現在は閉店している。風呂屋の息子なためか焼くことが好きで、メンバーで焼肉やもんじゃ焼きを食べに行くとひたすら焼く係になるらしい。
「STARTING OVER」のジャケット写真でオールバックにした髪形を披露。オールバック以降はハットを被ることが多くなり、ライブ中にしばしば宮本に奪われている(しかしながら宮本は取り上げるだけですぐに高緑に返す)。
クールなキャラだが宮本曰く内面は「ピュア」で外見と非常にギャップがあるとのこと。またぬいぐるみや犬が好き。
既婚で一児の父。身長179cm。
冨永義之(とみなが よしゆき、1966年4月14日 - )
東京都北区赤羽出身。ドラムスを担当。愛称は「トミ」。
宮本との共作はないが、バンド史上宮本が携わっていない唯一の曲「土手」の作詞作曲者である。
宮本・石森とは中学の同級生、高緑とは高校の同級生だったことで知り合う。宮本には「パワフルドラマー」と称される。口数はあまり多くない。ややぶっきらぼうな喋り方をする。石森の次によく宮本にいじられ、しばしば照れくさそうな表情を見せるが、少年時代は宮本曰く「危ない子」だったとのこと。
少年時代の武勇伝は多く『鉄塔などに登ってぶら下がる』『台風の日に海に飛び込み、「石君達もおいでよー!」と叫ぶ』『人通りの多い急坂をスケボーで走る』など、かなり活発な少年であり、中学時代は入学初日に通学鞄を潰し、学ランのボタンを外して登校するなどかなりのヤンチャ者で、バレンタインに大量のチョコを貰うなど非常にモテたという。
宮本や石森が洋楽のロックミュージックを聴き始めたのは冨永の影響であり、冨永自身は楽器をしていた兄の影響を強く受けている(尚ドラマーになったのは、兄がギターやベースを既にやっていたから)。
石森と共にエレファントカシマシを立ち上げた人物。また高緑を加入させることを決めたのも冨永であり、現在まで続く4人体制を確立した張本人である。高緑と特に仲が良く、ツアー先では一緒に飲みに行くことが多いらしい。
頼り甲斐ある性格で宮本曰く「兄貴分」。過去、付き合っていた女性に振られ落ち込んでいた宮本から愚痴や相談の電話を延々受けていたと言うエピソードがある。
ハーレーのバイクや車など乗り物を愛好する。またバーボン・ウイスキーなどきつい酒が好きで、酒を飲むと記憶が飛ぶらしい。
2006年に慢性硬膜下血腫を発症するが手術で無事完治。
既婚。身長168cm。

[編集] 結成〜デビュー以前

1981年に宮本、石森、冨永を含む中学のクラスメートで結成された(ギターとベース、女子のオルガンとマネージャー)。主にディープ・パープル、レインボー、RCサクセションのコピーを演奏。翌年EastWestの地区予選に参加し、初ステージを踏む。新宿JAMなどでライヴ活動を展開していた。1986年、冨永の高校時代の同級生だった高緑が加入し、現在のメンバーとなる。同年12月、CBS SONY SDオーディションに入賞。デビューのきっかけをつかみ、双啓舎と契約。


なぜあなたは、フィットする必要がありません

デビュー前に行われたイベントでは、観客が拍手をしたり声援を送ったりすると、「うるせぇ!」などとボーカルの宮本浩次が観客に毒づく場面があり、来場していた観客も戸惑いを隠せなかった。イベントで共演したHOUND DOGからTシャツにサインを求められた際、ロゴマークを塗りつぶした挙句、「バカ」とサインした上、ライターで火をつけて投げ返すなど、ステージの内外に関わらず傍若無人の振る舞いでデビュー後も異彩を放つことになる。これに関しては酔っ払っていたこともあり、後に宮本は謝罪に行ったという。

[編集] エピック・ソニー時代

1988年、エピック・ソニーよりシングル「デーデ/ポリスター」、アルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』でデビュー。このアルバムがロッキング・オンの渋谷陽一の目に留り、サザンオールスターズのデビュー以来の衝撃との評価を受ける。当初は率直に日常の怒りを歌ったロックンロールが主だったが、2枚目のアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI II』では一転、内向的で情緒性あふれる歌を歌うようになる。3枚目のアルバム『浮世の夢』から歌詞に文語が入り、厭世的な歌が多くなっていった。1990年に、ボーカルの宮本自身が青春と語る4枚目のアルバム『生活』を発表。1992年、宮本の生活の変化が反映された5枚目のアルバム『エレファントカシマシ5』を発表する。1枚目のアルバムと同様の勢いを求め、ディレクターやメンバーは宮本に対し激しいロックチューンを要求する。それに対し宮本が答えを出したアルバムが1993年発表の『奴隷天国』である。売り上げ不振で契約が危うくなる反面、多くのリスナーへ自分たちの音楽を届けたいという思いが強まりバンドの士気も高まっていった1994年、近藤等則、ドクターKYON(ボガンボス)らのゲストミュージシャンを迎え、オーケスト� ��やオーバーダビングなどを取り入れた7枚目のアルバム『東京の空』を発表する。バンド初となるプロモーション・ビデオを制作するなど宣伝活動にも力を入れたが、これを最後にエピック・ソニーとの契約を打ち切られる。その後しばらく存続していた所属事務所「双啓舎」もレコード会社数社から新たな契約の打診があった矢先解散となる。

デビュー当初の彼らのライブにおけるスタイルは、客を座らせ、SEはなしという非常に簡素かつ異質なスタイルであり、客電をつけたままライブが行われたことすらあった。宮本自身は立ってギターを弾くことができず、座って演奏していた。当時のグッズとしてはしりあがり寿のイラストによる歌詞集『エレファントカシマシの詩』や手ぬぐい、シャツなどが有名である。

エピック時代のバンド名は、正しくは「エレファント カシマシ」と間には半角スペースを入れる。

[編集] ポニーキャニオン時代

こうして一旦メジャーから遠ざかるが、その間も曲作りやライブは地道に行っていた。そしてロッキング・オンの渋谷陽一や山崎洋一郎の協力により、新事務所FAITH A&R(現フェイスミュージックエンタテインメント)と契約、1996年、ポニーキャニオンよりシングル「悲しみの果て/四月の風」をリリースして再デビュー。エピック・ソニー時代とは打って変わったタイアップ路線や、宮本浩次を中心としたメンバーのメディアへの積極的露出により売り上げを伸ばす。なお、『悲しみの果て』以降のバンド名は「エレファントカシマシ」とスペースなしのものになっている。

中でも1997年にフジテレビのドラマ『月の輝く夜だから』の主題歌として発売された「今宵の月のように」は、70万枚を超える大ヒットとなる。ポニーキャニオンからは『ココロに花を』『明日に向かって走れ-月夜の歌-』『愛と夢』の3枚のアルバムを発表。

当時のエピソードとして、ミックスの済んだ曲をウォークマンで聞きながら渋谷を歩いていた宮本が、整然とトリートメントされた、いかにもメジャーというような音質に苛立ち、その場に叩き付けたという。

[編集] 東芝EMI時代

1999年、フェイス傘下のバリアフリーレーベルとポニーキャニオンとの契約が終了したのに伴い、バリアフリーレーベルごと東芝EMIに移籍。1999年にはシングル「ガストロンジャー」、2000年には、ほぼ宮本のソロアルバムとも呼べる打ち込みを多用した『good morning』を発表。またこの時期の宮本は音楽活動と平行して執筆活動やドラマ『フレンズ』出演などを精力的にこなし多彩な才能を発揮した。


2002年には小林武史をプロデューサーに迎えたアルバム『ライフ』を発表。緻密なアレンジによる、穏やかで色彩豊かな世界を作り上げた。しかし同年末には再びセルフプロデュースに戻り、よりシンプルなバンドサウンドへと回帰した、初のミニアルバム『DEAD OR ALIVE』を発表。またこの頃から「音楽バラエティ番組での面白いキャラクター」へと定着したことへの反省から、メディアへの露出を極力控えるようになる。

2003年にはセルフプロデュースによるアルバム『俺の道』を発表、バンドサウンドへの回帰は決定的なものとなる。

2004年にはシングル「化ケモノ青年/生きている証」、熊谷昭を共同プロデューサーに迎え、アルバム『扉』を発表。そのアルバムの製作過程を密着取材したドキュメンタリーフィルム『扉の向こう』(是枝裕和プロデュース作品)は、テレビやミニシアターで上映され、DVDでも発売された。同年9月にはアルバム『風』を発表。

2005年には初のライブアルバム『野音 秋』『日本 夏』をそれぞれファンクラブやインターネットを通じて発売。

2006年3月に冨永義之が慢性硬膜下血腫を発症、3月2日に手術し完治。3月29日、佐久間正英プロデュースによるニューアルバム『町を見下ろす丘』を発売。その際、「シグナル/今をかきならせ」が初の配信限定シングルとなった。

[編集] ユニバーサルミュージック時代

2007年よりユニバーサルミュージックへ移籍。これについて宮本浩次は「新しいレコード会社のスタッフと出会うことにより、バンド内の空気も攪拌され新たな気持ちで活動することが出来るようになった」等と述べている。

11月21日に移籍第一弾シングル「俺たちの明日」をリリース、同曲はYANAGIMANがプロデュースを手がけ、ハウス食品の「ウコンの力」のCMのタイアップ曲となっている。またC/Wの「さよならパーティー」は蔦谷好位置がプロデュースを務めている。所属レコード会社の意向もあり、東芝EMI所属時代の後期に比べると、積極的なプロモーション活動を行うようになっている。

2008年1月1日にシングル「笑顔の未来へ」を発表。同曲は引き続き蔦谷好位置がプロデューサーとなっている。1月30日にレーベル移籍後初のニューアルバム『STARTING OVER』を発売。さらに3月5日には亀田誠治をプロデューサーに迎え、桜をモチーフとした作品「桜の花、舞い上がる道を」を発売。10月1日に引き続き亀田誠治プロデュースによる「新しい季節へキミと」を発売。

2009年3月18日にはシングル「絆」を発売。この作品は映画『相棒』のスピンオフ作品である『鑑識・米沢守の事件簿』の主題歌となる。 同年4月29日にはアルバム『昇れる太陽』を発表し、オリコン週間チャート3位を獲得。

2009年9月16日、日比谷野音でのライブが20周年を迎えることを記念し、移籍前の3社からそれぞれ選曲したベスト・アルバムを3枚同時に、また2009年4月11日に8年ぶりに行われた武道館ライブを完全収録したDVD「桜の花舞い上がる武道館」を同時に発表。

2009年9月30日、廃盤・生産中止となり入手困難となっていたアルバム『奴隷天国』、DVD『コンサート1998 日本武道館"風に吹かれて"』『ビデオクリップ集 "クリップス"』、ポニーキャニオン時代のオリジナルアルバム3作のHQCD仕様、当初CCCDで発売されていた『DEAD OR ALIVE』『俺の道』のCD-DA盤が、各社より連続再版、発売された。

2010年3月17日、2009年に行われた日比谷野外大音楽堂の2日間のライブを収録したDVD、『2009年10月24,25日 日比谷野外音楽堂』を発売。エレファントカシマシにとって日比谷野音の映像化はこれが初めてである。 5月12日、シングル「幸せよ、この指にとまれ」を発売。

2011年には結成30周年を迎えた。

[編集] ディスコグラフィー

※最高順位空白は100位圏外


[編集] シングル

[編集] 配信限定シングル

  1. シグナル/今をかきならせ (2006年3月20日)

[編集] アルバム

[編集] フルアルバム

[編集] ミニアルバム

リリース日 タイトル 最高順位 備考
13th 2002年12月26日 DEAD OR ALIVE 86位 全5曲 ※CCCD盤
※2009年9月16日CD盤リリース

[編集] ベストアルバム

[編集] トリビュート・アルバム

  1. 花男 (2003年3月19日)

[編集] ライヴ・アルバム

  1. 日本 夏 (2005年7月20日)
    • ロック・イン・ジャパン・ライブヒストリー
  2. 野音 秋 (2005年7月20日)
    • 日比谷野外音楽堂ライブヒストリー下巻(※上巻は発売未定。)
      • 上記2作はファンクラブ限定、のちにAmazon.co.jp限定で販売されていた。

[編集] 未発表曲

1999年のツアーでのみ披露された曲。CDはもちろん映像商品にも収録されていない。

[編集] 81">映像作品

番組名 放送局 出演年月 備考
ロケットパンチ! フジテレビ 1998年12月 司会:恵俊彰・中原理恵
ミュージックフェア フジテレビ 1998年12月9日 司会:鈴木杏樹 共演:藤井フミヤ
トップランナー NHK 1999年5月7日 司会:大江千里・益子直美
ポップジャム NHK 1997年,1998年/2000年1月29日/2002年3月9日/2002年4月20日 司会:森口博子/爆笑問題/堂本光一/優香 
LOVE LOVEあいしてる フジテレビ 1999年5月22日,2000年4月22日 司会:吉田拓郎・KinKi Kids
HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP フジテレビ 1999年12月14日,2000年3月6日,9月18日,2001年3月19日,2002年3月4日 司会:ダウンタウン
うたばん TBS 2000年5月25日 司会:石橋貴明・中居正広
ミュージックフェア フジテレビ 2000年5月28日 司会:鈴木杏樹 
共演:織田哲郎・小林建樹
Music Museum フジテレビ 2000年9月20日 司会:所ジョージ・篠原ともえ・坂崎幸之助
さんまのまんま 関西テレビ 2000年9月22日 司会:明石家さんま
P-STOCK フジテレビ 2000年9月22日 司会:岸谷香
SMAP×SMAPスペシャル 関西テレビ・フジテレビ 2000年12月25日 進行:SMAP
FUN 日本テレビ 2001年3月30日,9月28日,2002年3月15日 司会:松任谷正隆・今田耕司・藤原紀香
ミュージックステーション テレビ朝日 2002年3月8日 司会:タモリ
共演:YUKI・モーニング娘・嵐 他
FACTORY フジテレビ 2002年5月7日,2002年5月21日,2006年8月1日
AX MUSIC-TV 02 日本テレビ 2002年5月17日 司会:藤井隆
MUSIC JAPAN NHK 2007年11月23日,2008年2月8日,10月2日 司会:関根麻里・中孝介
魁!音楽番付〜Vegas フジテレビ 2008年1月16日 MC:リア・ディゾン
Music Lovers 日本テレビ 2008年1月27日 司会:赤坂泰彦
共演:光浦靖子・堤下敦
オンタマ 音魂 テレビ朝日 2008年1月28 - 31日
ミュージックフェア フジテレビ 2008年2月2日 司会:鈴木杏樹・恵俊彰
共演:Skoop On Somebody・大橋卓弥 ・東方神起 他
僕らの音楽 フジテレビ 2008年2月15日 ナビゲーター:草彅剛
月刊Melodix! テレビ東京 2008年3月22日
音楽戦士 MUSIC FIGHTER 日本テレビ 2008年3月28日 司会:キングコング・青木さやか
ミュージックフェア フジテレビ 2009年5月9日 司会:鈴木杏樹・恵俊彰
共演:布施明・中川翔子・the generous
私の10のルール TBS 2009年5月12日 ナビゲーター:星野源
魁!音楽番付〜JET フジテレビ 2009年5月13日 MC:長谷川潤
SMAP×SMAP 関西テレビ・フジテレビ 2009年10月19日
ハッピーMusic 日本テレビ 2010年11月20日 司会:ベッキー
僕らの音楽 フジテレビ 2010年12月24日 ナビゲーター:草彅剛
共演:Dragon Ash
FNS音楽特別番組 上を向いて歩こう 〜うたでひとつになろう日本〜 フジテレビ 2011年3月27日 司会:草彅剛・高島彩

[編集] 関連項目

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エレファントカシマシ - Wikipedia

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