ニムロド、セミラミス−偽りの三位一体 | カレイドスコープ
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まず、私たちは、クリスマスに付いて、まったくと言っていいほど理解していなかったことに気が付きます。
まずは本稿に進む前に、以下の記事を予備知識としてお読みください。
【クリスマスとサンタクロース】様より抜粋
サンタクロース・・・
その始まりは、4世紀に実在した「聖ニクラウス」でした。
貧しい人たちに気前よく贈り物をしたところから、人気のある聖人の一人だそうです。
この聖ニクラウスの姿は、土着の神話・伝説と交じり合って、いろいろな姿をとるようになります。ただしクリスマスと聖ニクラウスの話がヨーロッパでどうまとまったかは、よくわからないらしいです。
その後新大陸に渡ったオランダの新教徒たちが、この「聖ニクラウスの祝日」の習慣とクリスマスと習合してしまったようですが、すぐ新大陸にこの習慣が広まったわけではありません。
というのも、厳格な清教徒たち(イギリス系の移民ですね)が移民の大多数で、クリスマス自体自粛の傾向にあったからです。
「聖なる神様の生まれた日に、どんちゃん騒ぎするとは何事ぞ!」てな感じで・・・。ごもっとも。
ちなみに本国イギリスでも、クリスマスのお祝いはたびたび法律で禁止されかかったこともあるそうです。産業革命のころは、貧しさが理由で一般家庭ではクリスマスのお祝いは消滅していたそうですし
(これは私も知らなかった!)
閑話休題。
現在のようなかたちで、ツリーを出してご馳走を食べるという習慣ができるようになったのは、どうも19世紀に入ってからのようです。
> 19世紀、作家のアービングが「ニューヨーク史」の中で馬に乗ってやってくるドイツ風のサンタクロースを紹介しました。
続いて神学者のクレメント・ムーアが自分の子供の為に「聖ニコラスの訪問」という詩を書き、サンタとその周囲の設定を創作して生き生きとしたキャラクターに仕立て上げました。
で、日本人がイメージするサンタクロースは、アメリカが由来になります。
コカコーラ社のCMで、初めて「ひげを生やした赤い服のじいさん」という形をとったのが始まり。
上 の抜粋にもあるとおり、もともと「小人」の姿をとっていた(フィンランドの精霊「トントゥー」のなごりという説あり)のですが、スウェーデン人イラスト レーター、ハドン・サンドブロムサンという人が「白いひげで赤い服を着た、恰幅のいい大人」を人間のサイズで書いたのが始まりだそうです。
で、クリスマスとキリストの生誕のいわれですが。
聖書の中には、キリスト生誕の記述はありません。
後から「じゃ、12月25日にしましょうか」という感じで偉い人が決めたものです。
今のところ、325年のニケーア公会議で「そうしましょう。賛成〜」と決まったことになってます。
実際は、聖書の中の記述から推察して、3月ごろに生まれたらしいですが。
じゃどうして12月25日なの?・・・と疑問。
この時期ヨーロッパではもともと冬至にあたり、様々なお祝いがされておりました。
天の神・・・太陽の力が最大に衰える時であり、またこれから復活するときでもあるからです。
人々は衰えていく太陽を元気付け、また甦る太陽に喜び、かつ新しい年の更なる豊穣を願いました。
(エジプトがもとなのかな・・・こういうの)
その後ローマ帝国では12月25日をミトラ教の祝日「不滅の太陽の誕生日」としてお祝いしてきました。237年にはアウレリウス帝がローマの正式なお祭りと定めています。
で、この冬至にまつわる祭りと、時には「太陽」にも見立てられるイエスの誕生日を習合し、12月25日をキリストの生誕の日としたようです。
つまり、日本人の知っているクリスマス、サンタなどは、ほんの数十年前にアメリカの作家たちによって脚色されたものである、ということです。アメリカの商業主義によって、別物になってしまったというわけですね。
発祥はヨーロッパですが、本当のクリスマス、サンタの姿はアメリカにも日本にも、ないのです。
ニムロドを知らずのうちに崇拝させられている、という以外は。
ここからが本題です。
以下で採用するソースは、The Truth About Christmas
実は、このサイトに書かれているサンタクロースとクランパスに関する記事は、おそらく100以上に上るでしょう。クリスマス全体について書かれていることは、たぶん300〜500とか、そんな膨大な資料の数になるはずです。
ほとんどが、ヨーロッパ各地の民間伝承を集めたものです。
すべてに出典が明記されていますので(ここでは、すべて割愛しました)、客観的な情報として捉えて差し支えないのでしょう。
この記事は、たぶん上のサイトの50程度の記事の抜粋から構成したものです。偏りのない内容になっていると思います。
クリスマスの悪魔
The Devil in Christmas
アングロ・サクソンは、もともと悪魔崇拝者たちでした。
悪魔崇拝の儀式は、アングロ・サクソンの冬の12月の祭の一部として執り行われていたのです。
ローマがキリスト教に改宗したとき、これらアングロ・サクソンの悪魔崇拝者たちは、この12月の悪魔の休日を続けることを許され、そのとき、その悪魔の休日の名前を「クリスマス」と改名したのです。
グレゴリ教皇は…聖アウグスティヌスにキリスト教に改宗したサクソン人たちに、ある祭りを許可するように進言した人物ですが…以前は、サクソン人が悪魔の栄誉を称えるという目的で、この祭を執り行っていたので、聖アウグスティヌスは、新しい名前(クリスマス)に替えるなら、サクソン人たちの12月の祝賀行事を許可すしたのです。
それで、これらの初期の異教の儀式が、今日まで、私たちの知っている通常の行事となって生き残ったのです。
そうしたことから、ヨーロッパの人々は、ブラック・ピーター(オランダでの悪魔の呼び名)、あるいはクランパス(Krampus)といった悪魔とクリスマスをともに過ごすことになってしまったのです。
それでも、クランバスは、今日も今日、クリスマスの祝い事の一部になっているのです。
セント・ニコラウス(Saint Nicholas)は、クリスマスにクランパスを伴ってやってきます。人々は、クランパスを見るだけで、この休日がどこから由来しているのか理解するのです。(悪魔に由来している)
クランパスは、割れた蹄(ひづめ)、長い舌、頭には角、暗い色をした煤けたような皮膚、その皮膚にうっすら生えた毛、そして熊手を持っています。子供たちにとって、クランバスは、悪さをする子供を鞭で叩く悪魔のヤギのように見えるのです。
クランパスは、聞き分けの悪い子供を連れ去って、地獄の深みに落とすために、子供を入れる大きな袋を持っています。
子供たちを死ぬほど怖がらせるクネヒトルプレヒト(Knecht Ruprecht)のような古い悪魔は、やがてセント・ニコウス(ニコラウス=Saint Nicholas)と混ぜこぜにされていったのです。
ルプレヒト、あるいはクネヒトレプレヒト、またはクランパス、これらすべてはセント・ニコラス(ニコラウス)とともにクリスマスになると子供のいる家を訪ね歩く悪魔のことです。
後に、セント・ニコラス(ニコラウス)とルプレヒト、あるいはクネヒトレプレヒト、またはクランパスといった悪魔たちとの役割は、きちんと分けられるようになったようです。
この陽気で楽しい小柄な妖精(サンタ)は、子供たちにプレゼントを運び、小柄な妖精といつもいっしょにいるクランパスと呼ばれている角を持った悪魔は、オーストラリアや南ドイツ、スイスの少年や処女たちに 、鞭の一打ちと悪夢を持ってくるのです。
アメリカでは、セント・ニコラス(ニコラウス)は、陽気なサンタクロースとして、徹底的に人々に親しませるようにアレンジされてしまいました。
しかし、ヨーロッパでは、 いまだ、セント・ニコラスは、クランパスという獰猛な生き物とヨーロッパ中を旅することになっているようです。古き悪しき時代には、子供たちは、クランパスの黒いバッグに入れられて連れ去られていたのです。
オーストリアのいくつか地域では、聖ニコラス・イヴは、「クランパスの日」としてよく知られています。
サンタを考える場合、古代から黒い影のようにサンタにつきまとっている分身のようなものを見落とすことはできません。
それは、ヨーロピアン・アルプス地方で、サンタクロースに常に付き添っている悪魔たち−Percht、Bartl、 クランパス、クネヒトレプレヒト、あるいはRotsohlerなど、いろいろな名前で呼ばれています。
馬の蹄鉄、大きな袋、鎖を持ってやってくる悪魔「trabant」は、紀元前の祭りの習慣に見ることができます。
紀元前では、Ruebezahlという別の人物像があります。これは、クランパスとサンタをミックスしたようなドイツ神話上の巨人です。
「Nick」、または「Old Nick」は、悪魔の別称として周知されています。
この名前は、アングロ・サクソンの悪魔「the Dutch Nikken」から派生したものです。
「Old Nick」−「NOUN」=悪魔、サタンです。
チェロスロバキアでは、「頭の角、尻尾、長く赤い舌を持った毛むくじゃらの悪魔が、セント・ニコラスとともやって来る」と言い伝えられています。
ヨーロッパの民間伝承には、さまざまな悪魔のキャラクターが出てきます。
クランパスというのは、オーストリア、バイエルン地方、ハンガリー、およびバルカン諸国で見られるクリスマスには「なくてはならないキャラクター」なのです。
オランダでは、クランパスのことをブラック・ピーターと呼んでいます。
「クランパスとは、いったい誰のことだろう?」 あなたは、こう尋ねます。
もちろん、それはセント・ニコラスといっしょ方々を旅して回る毛むくじゃらの悪魔のことです。
ルプレヒト(Ruprecht=クランパス)は、共食いすることになっているそうです。
クランパス。彼の役割と性格は、紛れもなく「悪魔的」です。子供たちに災いを齎す悪魔。それは生き地獄同然です。
"聖者"であるはずのニコラスは、このくすんだ黒い毛むくじゃらの悪魔の手を借りているのです。
クリスマスという祝日が悪魔に根付いたものである、ということは明白です。
キリスト教界が、このように汚らわしいものと接触を持っているとは、どうしたことでしょう。
しかし、キリスト教界は、この悪魔の休日に「キリスト」という名前を上塗りすることによって、これを祝うことが、まるで無害であるかのように偽装しているのです。
これは驚くべきことです。
ヨーロッパのクリスマスカード
サンタクロースと太陽崇拝
SANTA-Claus and Sun-god Worship
光輪、後光を、異教徒がそれをフォームとした使用しようと決めたのは、早くからのことです。
ギリシャやローマ芸術のモニュメントでは、神、英雄、および他の著名な人々の頭に、しばしば円形の光輪が見つけられます。
光輪、後光はフェニックスのような創造物にも特に関連付けられています。
円形の光輪は、また神と半神半人を描いたポンペイの壁画にも見られます。
また、エジプトやシリアでは、彼らの王が半神半人であることを示すために、頭に王冠を載せて、それを表現するのが習慣でした。やがて、それは東洋に、西洋に広まっていきました。ローマでは、初代の死んだ皇帝にだけ天の至福のサインとして光輪を使用しましたが、その後、生きている支配者たちにも使われるようになりました。
光輪や後光は、もともとは、太陽のパワーを表すものでしたが、後になって、太陽神の象徴となりました。
太古の昔から、太陽は世界中の異教徒の神のシンボルでした。
バビロニア人、ペルシア人、エジプト人、ギリシア人、およびローマ人には皆、彼らの太陽神がありました。
北部と南米のネイティブの民族は彼らのアジア人の先祖のように広く太陽崇拝を慣例としていました。
ヨーロッパ人も同様に太陽崇拝に深く関わっており、太陽神を祝賀する祭の多くが、キリスト教のならわしとして、組み込まれていったのです。
その名残は、今日でも、イースターの復活のかがり火や、クリスマスの薪に見ることができます。
クリスチャンの芸術には、わからないように光輪が描かれていたりしますが、よく見てみれば、誰の目にも、それが異教の太陽神を象徴したものであるかが分かるはずです。
偶像崇拝である太陽神を巧妙にキリスト教に組み入れるこの方法は、キリスト教芸術を不幸に導いてしまいました。
太陽神「ミトラ」の誕生日は12月25日です。
この偶像崇拝に反対する代わりに(反対することなく)、カトリック教会は、文字通りキリストの誕生日が12月25日である、という考えをでっち上げて、「クリスマス」という新しい名前を、その異教徒の祝日に付けて、自らこれを祝ったのです。
12月25日
「太陽神」の出生
自分が神であると宣言した最初の人間はニムロドでした。
彼の母、セミラミスは、「マザー・オブ・ゴッド」であると宣言しました。
彼ら二人、そして、彼らの息子のタンムズ(Tammuz)とで、エホバの神を崇拝代わりに、「三位一体」という神秘の神を崇拝するようになったのです。
バベルにおいて、人々の言語が混乱していたとき、(そのドサクサを利用して)ニムロドのこの邪教を世界に広げていったのです。
すべての異教の神、すべての異教の女神は、ニムロドになんらかの影響を受けており、セミラミス崇拝を受け入れてしまいました。
そうして、世界中の異教の太陽神(人格神)が、自分は12月25日に生まれたのだと主張するようになったのです。
エホバの神に反逆した最初の男の誕生日を次々とコピーしていったなんて、なんとアバウトで適当な連中なのでしょうか。
異教思想は、あちこちにシンボリズムで満たされています。
太陽崇拝について念入りに調べるなら、これらのシンボルと教えが何であるかが分かるでしょう。
赤ん坊のイエスが12月25日に生まれたと信じて、それを祝うとき、あなたは、世界の異教の太陽神に騙されていることになるのです。
これこそ、悪魔のトリックなのです。
「太陽神」崇拝における「光輪」、「後光」
光輪、後光は、異教徒たちの間で使用された最初のシンボリズムです。
それが証拠に、初期のクリスチャンの芸術には、どんな光輪、後光も見られないのです。
ヘレニズムやローマの芸術では、太陽神のヘリオスとローマ皇帝は、光輪の付いた王冠をかぶっているものが、しばしば見受けられます。人々は、異教的な起源から来たものであることを知っていたので、この形(円形の光輪)は、この頃の初期のクリスチャン芸術では使われていません。
ローマの司教は、太陽崇拝をずるがしこく招きいれ、キリスト教に異教的な要素を入れてしまったのです。このことは、コンスタンティーヌの本当の秘密です。
彼らが、非常に抜け目なく、それをやり遂げたので、何世紀もの間、太陽崇拝は人々の信頼を得たままに真実が隠されているのです。
コンスタンティーヌを通して、異教思想と、キリスト教はローマ帝国において互いに手を組み、やがて、太陽崇拝(世界のほとんどの異教の宗教に現れるている)は、クリスチャンの芸術、イメージ、および神学に取り込まれていったのです。
キリストとマリア様に見られる光輪は、実は、このようにして取り込まれた異教(太陽崇拝)のシンボルなのです。
12月25日…その頃はキリスト教徒以外の異教しか、この祭を祝わなかったのです。この祭りを祝うことは、すなわち、あの世のバビロニアの女王の息子(ニムロド)の誕生を祝っているとになるのです。
太陽神・ニムロドの誕生日の祝い…ローマカトリックは、これに「キリスト」という別の名前を与えて、この祭りを採用したのです。
12月25日。この異教の太陽神ニムロドの生まれた日を、私たちの救世主が生まれた日だと偽り、何世紀もの間、異教徒たちがこの日を祝ってきたのです。
このことについて研究すれば、どれだけはるかに背教の背教指導者たちがキリスト教と異教思想を融合して、ひとつの背教にしようとして努力してきたか−太陽神の異教の誕生日祝いの中に、キリストの誕生日を入れ込もうとしてきたか−が分かるのです。
なんと、5世紀に、ローマカトリック教会は、キリストの誕生日は、永遠に12月25日とする、という命令を出したのです。
クリスマスと太陽崇拝のつながり
一番目の「つながり」−日付
実際にクリスマスと太陽崇拝との間には、多くのつながりがあります。
日にちのつながりは、最も顕著なものです。
聖書には「羊と羊飼いが野外で数夜を過ごすことができるほど暖かい時期に生まれた」と明確に書かれています。
エムサレム−ベツレヘム地域では、10月下旬以降は、羊たちはずっと羊小屋の中で飼われているのを知っています。氷雨が降って寒すぎるからです。
いったい、キリスト教界の背教者たちは、どのようにすれば、冬季にキリストが生まれたと主張できるというのでしょうか。
そこには太陽崇拝の意図が隠されているからです。
背教者たちの形式では、太陽神・ニムロドのことをバアル(Baal)として知られています。
神話学は、バアル神、女神、天の女王が、さまざまな名前で広く崇拝されていたことを明らかにしています。
「歴史は、ニムロド、ニムロドの"母親妻"セミラミスが、後の文化や社会に浸透していった「神」、「女神」の原型であることを確認しています。(by David Terrell)
ニムロドが、まだ少年であったときに、彼の母親(セミラミス)は、彼を望んでいました。そして、事実上、自分の息子と結婚したのです。
ニムロドが死んて太陽神が創造されたとき、セミラミスは、タンムズ(Tammuz)という息子を産んだのです。
タンムズ(Tammuz)は、息子・ニムロドの生まれ変わりである、とセミラミスは主張しました。
セミラミスは、彼女の息子・タンムズ(Tammuz)が、現実の世界に、彼女の夫であった(自分が生んだ息子でもあった)ニムロドが再生して戻ってきたのだと主張したのです。
天の女王
ニムロドは、死後、このようにしてタンムズとなって蘇り、彼は金の子牛に象徴されるようになりました。
セミラミスは、「天の女王」として知られるようになり、やがて、それはその後の「女神」のプロトタイプになっていったのです。
(管理人:NYの自由の女神像は、つまりは、この悪魔的な淫婦・セミラミスのことになりますね)
ニムロドの宗教は、イザヤ書の第14章に拠れば、サタンの経典として同定されています。
歴史を紐解けば、このような古代のバビロニアの宗教が全世界に侵入し、偶像崇拝の仕組みの基本形になっており、神話のテーマであることを立証することができます。
この「神」は、言語の違いによって、世界ではさまざまな呼び名を与えられています。
世界の主な宗教を遡っていくと、バビロンに行き着きます。
サタンが全世界を欺いている偽りの父であることは知られています。
そして、ニムロドは、人間の形をした偽りの宗教の父です。
サタンは、バビロンという太陽崇拝に中心地を置くことによって、世界のサタンへの忠誠心を競わせようとしたのです。
神と神の権威に挑むことはサタンの企みなのです。
このサタンの計画の全体的な統率者こそ、ニムロドその人なのです。
ニムロドは、異教の太陽崇拝の起源です。
異教思想において、その偉大なる母としてすりかえられたのがイエスの母、マリアでした。
いずれにしても、「母なる女神」、そして「彼女の子供」が、エジプトの名前ではイシスとホルスとなり、バビロニアでは、セミラミスとタンムズというようになり、ローマの名前ではビーナスとジュピター、あるいは「処女マリア」、「キリストの子」となろうが、異教のローマにとっては、問題ではなかったし、今でもそうです。
いずれにせよ、それは古びた"アイドル宗教"に過ぎません」。
--Baal-mas Where did Christmas Come from? by Tom Adams
異教の習慣、シンボル、用語におけるキリスト教化…
ローマが異教の古い信念と様式を諦めず、それを他の姿に変えて生き残りを図ったので、それを組み込まれたキリスト教は、どうしても変化を受けざるを得なかったのです。
最終目的は、公式のキリスト教を完全に異教化することでした。
キリスト教が、その用語体系を提供し、異教は、教義と権利を出し合うことによって、"混合宗教"が製造されたのです。
このようにしてローマ世界の偶像崇拝は決して破壊されることなく生き残ったのです。
この代わりに、今までむき出しの状態だった異教の偶像崇拝は、キリスト教という服を着せられて、その本質を覆い隠されたのです。
このときの「変装」は、クリスマスの習慣と伝統を後になって商業目的化するためにさらに、どぎつく変装させられてしまったのです。ビジネスであれば、クリスマス・シーズンの間、どんな種類の商品でも売れるのですから。
クリスマスの常緑樹、暖炉にくべる薪(Yule log)、およびサンタクロースはどうやったら、私たちの救世主イエスと関係づけられるというのでしょう。
クリスマスは私たちに真実を教えているのでしょうか?
この祝日には、とてつもない虚偽と詐欺が取り囲み、埋め込まれているのです。
この祝日を神が祝うことを認めていると信じるなど、なんと愚かなことでしょうか。
神にとって真実は非常に重要です。
偽りは霊的な奴隷制度の下で私たちを縛っているのです。
いよいよ三位一体の形成
セミラミスは、ひとりの息子を産みました。
その息子の名前はタンムズ(ホルス、あるいはギルガメッシュとも呼ばれている)という名前です。
セミラミスは、ニムロド(すでにノアの息子・セムに殺された後)の魂が訪れて、タンムズを身ごもったのだと主張したのです。
つまり、タンムズはニムロドの生まれ変わりだといったのです。
このとき、父・ニムロド、母・セミラミス、そして息子のタンムズ…で、おぞましく邪悪な「三位一体」が形成されたのです。
補足:分かりづらいので、以下のサイト様より抜粋
【バビロン再建計画】
来るべきメシヤの預言を知っていたクシュ(セミラミスの最初の夫)は、セミラミスによって子をもうけた。
このクシュによる子、ニムロデこそ彼らのメシヤであった。
クシュは死ぬ時、ニムロデとその母セミラミスを結婚させた。
ニムロデはすでに人々から神として崇められていたし、クシュもニムロデをもうけたことによって崇められていたので、セミラミスは『天国の母』として崇められるようになった。
ニムロデがバベルの塔を建てている間に、ノアの息子の1人であるセムがニムロデに裁きを告げるためにやって来た。
セムはニムロデを殺し、彼の体をいくつかの部分に切断し、使者を遣わしてすべての異教の神殿に送った。
使者は「バアル、モレク、チューンなどの礼拝には、これと同 じ裁きが来る」と彼らに伝えた。
やがて、それらの宗教は地下にもぐることになった。
ニムロデの妻は偶像崇拝を始めた女祭司であった。
彼女は「奇跡的に妊娠した」と主張して、タンムズという息子を産み、「彼こそ民の救い主である」と宣言した。
その宗教は世界各地に広がり、人々は天の女神が救い主であるわが子を抱いている像を拝むようになった。
そうした偶像は 世界各地で発掘されている。
古代の人々は、この母子像を礼拝し、聖水を注ぎ、宗教儀式を受けることによって、罪が清められると信じた。
ニムロデは、多くの国々で様々な名前で知られてきた。
バアル、オシリス、ジュピター、バッカスなどなどである。
またセミラミスは、アシュタロテ、イシス、ダイアナ、イシュタール、ヴィーナスなどで知られている。
ここから管理人:
言ってみれば、悪魔崇拝の儀式を伝統的に執り行ってきたカルト教団が、公安に目を付けられてしまい生き残り策はないか、と考える。
そこで、教団名を「幸せ絶好教」という名前に変えたら、即座に宗教法人の認可がとれた。
そして、ご本尊に聖人を持ってきて細工したのです。
ご本尊にひげ、ゲジゲジ眉毛を描いて、悪魔の要素を入れ込んだのです。
この場合は、古代の太陽崇拝のサタニストたちが、キリスト教に侵入する入り口として「クリスマス」というドアを開けた。
そのドアをつくったのが、ローマ・カトリックということですね。
この事実を隠すために、バチカンという総本山の権威付けが必要になったし、ヒエラルキー構造の下に、絢爛豪華な大伽藍を建て、人々の意識の中に、視覚的に太陽崇拝のシンボリズムを植え込むために、クリスチャン芸術の振興を図ってきた、ということでしょうか。
そのバチカンの中枢にイエズス会という闇のイルミナティ・コントロール・センターが設置されて、世界中のカトリックに号令一下、すべて意のままに操っている、という構造。まるで、エホバの証人の「統治体」と同じですね。
バチカン自体が、キリスト教の「乗っ取り計画」のためにつくられた?ということらしい。
それはさておき、管理人が常々不思議に思っていたこと。
偶像崇拝を否定しているはずのキリスト教が、映画、絵画、その他の芸術を通して、キリストの十字架(磔刑の様子)を露出しまくっているのが、どうにも不思議だったのです。
カトリックの神父さんが首からかけているのは、キリスト像のある十字架(プロテスタントの牧師さんは、何もない十字架)。これも、不自然で仕方がなかったのです。
カトリックのほうは十字架にキリスト像がデザインされているのですから。
当ブログでは、世界の不協和・不条理の理由を探る上においては、聖書を理解しなければ、その謎は解けない、という意味のことを何度か書いてきています。
「聖書の謎を解かなければ、本当のことは分からない」というのは、何も聖書を読み込んで、そのまま暗記したり、さまざまな解釈を加えようという試みのことではありません。
世界を実質支配しているグローバル・エリートがどこから出てきたのか、彼らのルーツを探るためには、避けて通れないことがわかったのです。
聖書が、どのようにして改ざんされ、キリスト教の中にクリスマスのような「トロイの木馬」が、どのように仕込まれてきたのか、そして、その節目節目で世界史に何が起こったのか、それを重ね合わせていくと、見えてくるもの−ローマカトリックのような権威ある人々が、実は意外と現世的な考え方をしている、ということがわかってきます。
現世的とは、彼らの権力を維持することです。
そして、さらに言えば、サタンの跋扈を許しているのは、私たちが盲目で無知であるからに他ならない、ということがわっかてきます。
無知であり、盲目である限りは永遠にサタンと「お付き合い」していかなけれぱならない、ということです。
ひょっとしたら、サタンの跋扈は、それ自体、神が仕組んだことかもしれません。
そもそも永遠などということはないのですから、そろそろ「締め切り」が迫っているのかもしれません。「いい加減に気づけよ」と。
(私たちの無知のせい、とは言っても、これだけ巧妙にやられると、なかなか見抜けませんが)
最近考えることは、「サタンに抵抗しろ」という意味は実はもっとも恐ろしい罠ではないか、とフト考えるときがあります。
なぜなら、サタンとは、自分の分身かも知れないからです。
サンタクロースの行くところ、常に同伴しているクランパスのような。
クランパスはサンタクロースの影なのかも知れません。
影をなくすには、自身が輝くほかありませんね。
何も、座して祈っていればいい、ということではなく、「あなたの祈りは、本当の祈りですか」と自問自答することも必要でしょう。「臭い匂いは元から絶たなきゃダメ!」と言いますから。
どうも私たちの心の中のゴミを食べながら成長するらしい。
これでは戦っても戦っても、次々と新手の騙しが出てくるのですから、キリがありません。
※ニムロドとセミラミスが同一人物(つまりセミラミスは男性でニムロドの別名)であると主張している研究家もいるようですが、レプティアンという創作上の生き物を信じ込ませようとしているような人物のいうことは眉唾です。
この記事は、ニムロドとセミラミスは別人で、両者の関係は、英語の元ソースにあるとおりであるとの解釈の上に立って書いています。
※注意:憶測で管理人がクリスチャンだと書いている方が何人か、おられるようですが、信用を失いますよ。
クリスチャンの方にご迷惑がかかるといけませんので、再度、念押しておきますが、私はクリスチャンでないどころか、一切の宗教とは関係がありません。
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